2020年の2月

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 今日は終日家にいる。あ、一度だけ、すぐ近くのコンビニまで行ったっけ。寒くて暗い日曜日。写真は2020年の2月に撮影。

 コロナ禍が始まったのが2020年の春からで、いよいよ感染者が増加して、マスクが手に入りにくくなり、会社が全社自宅待機のような状態になり、その後急遽テレワークが認められていくのが、この写真を撮ったひと月からふた月あとくらいからだったのではないか。この写真は神奈川県足柄上郡松田町の寄(やどりぎ)地区で1月から2月に開かれるロウバイ祭に行って撮ったもの。今日は終日家にいたので、少し古い写真を見返していて、あぁなんだかコロナ前とコロナ後に断層があって、断層の向こうは、もっとずっと前だった(昔だった)気がするのだった。それから、今年の冬は寒いので、この二年前と同じようにロウバイの花の開花が進んでいるのかな?国道246号からひとやま越える、あの道は路面凍結しているだろうか?と考えたのは、近々に行ってみたいなと思ったからだ。

 それにしても・・・コロナ禍が始まったのは2020年だから、それからの二年に、二回の春、二回の夏、二回の秋を過ごし、二回目の冬がいまで、三回目の春がもうすぐ始まる。そして、例えば夏にあったことが、それが一回目の夏だったのか二回目の夏だったのかを間違える、もしくはわからなくなるのですよ、ときどき。

 もうひとつ写真を見直してみて、2月・・・あと十日もすると、このロウバイのほか、福寿草とか梅とか・・・もう早春の花々が花を開くのか・・・と言う驚きだった。なんだかいつまでもずっと冬が続くような気分になっていたのかもしれない。

 小畑雄嗣写真集「二月」(蒼穹社)を捲ってみる。東京都写真美術館でずいぶん前に開かれた日本の新進写真家の展示で見てこの写真家を知った。とくに夜のアイスリンクでスピードスケートの選手たちが滑っている写真を見ていると、スポーツの場面なのにものすごく静謐(実際にはいろんな音が聞こえるのだろうが)で、それゆえに選手たちが滑るということのみに集中しているその純粋な意思がピンと張りつめている二月の夜の冷気と共鳴して見るものの姿勢を正してくるような感じを受けたと覚えている。