黒い山蔭

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 在宅勤務。夜になり、いちばん古いHDDに入っている2004年頃からはじまるデジタルカメラで撮られた画像データを眺めていく。17年前の写真は暗い場面では色ノイズが乗り、手振れ補正もないうえにISO感度もそんなわけで上げられずぶれているものが多く、かつ画素数も少ない。最初に買ったコンデジは300万画素だった、そこからはじまり、この2010年の山蔭の写真はたぶん800万画素のAPS-Cサイズの一眼レフデジカメだったと思うが、いまとくらべるとぱっと見の写真の印象は、低解像度というよりなんだかぬめっとした印象に見える。だけど、写真の面白さ、写真がなんらかの感情を呼び起こす強さ(身体性?)、そういうことは、技術進化の前と後で、後(すなわち今)の方に多く現れるわけではない。むしろこんな風に機材の未熟さをひきずって写っていた写真、これはノイズが多くて、山は真っ黒だが、それでもなんだか心がざわっとする。だから選んだ。いまのカメラならもしかすると山は黒くならずに木々が写り、手振れもせず、ノイズもほとんど乗らないかもしれない。この日は風の強い、4月にしては寒い日だった。湘南平(という神奈川県平塚市と大磯町の堺のあたりにある丘陵(小山)の上にある公園)まで車で上がって、終わりかけだったか始まったばかりだったか、とにかく満開ではなかった桜の花を撮ったのだった。と、記憶しているが本当のところがどうだったかはわからない。山蔭の写真は何枚も撮ってあり、この稜線はのっぺりとゆるやかだが、この右の方はもうちょっとだけちゃんと盛り上がった山の形だ。町灯りもこの写真ではちょっとしか写っていないけれど、他のコマではもっと広く平塚市の灯りが写っているコマもあった。そんな何枚かの中からこれを載せようと思うのは、いまの私の選択眼だ。そこには今日の気分や体調も影響しているのだろうか。黒くて闇のような山蔭だけど、わずかに見える街の灯りとその街の灯りが反射して微熱を帯びたような雲一面の空だ。それはなにかを待っている感じに思える。不安と期待の混じったような。

 明日は国民の休日天皇誕生日)だが、曇りときどき晴れではじまり、午後には曇り、という予報。寒い日になるだろう。