50mm

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 平塚市にある花菜ガーデンまで50mmレンズをたくさん持って行ってみる。1950年代の50mmF1.4と1970年代(もしかしたら60年代)の50mmF1.2と最新の50mmF1.8と50mmF1.2、さらにAPS-Cサイズカメラでフルサイズ50mm相当の画角になる32mmF1.4。ほかにもう2本持っているんだけど、そこまでは持っていかなかったです。それでなにがわかったかと言えば、世の中で言われている通りのことだった。ピントの合っているところの解像度は今のものがずっといい。ぼけているところの玉ぼけのサイズはFナンバー通りの比率で起きている。そしてなにより大事なのは、そのぼけているところの柔らかさはフレアなのか収差なのかが画質をいい意味で「低下」させるためやわらかく見えて、かつ個性もある。何事にも秀でていて人当りもいい青年と話す感じが新しいレンズで、癖のある青年と気が合わなければ二度と話したくないけれど気が合うととことん付き合いたくなる、そういうのが古いレンズ。

 マンサクに似ている花を付けた木があり、クロッカスがいくつか花を付けていた。だけどほとんどの植物は冬枯れの状態だ。そこに冬の陽が当たる、予報よりも雲は少なく総じて晴れていた。ここを撮ろうと決めて、レンズを付け替えて、それぞれのレンズでいくつかの決めた絞り値に順に変えては写真を撮る。ときどき太陽が雲に隠れると、空を見上げ、雲の動きを見て、太陽がふたたび雲から現れるのを待つ。雲は少ないからそうなったときでも3分もすれば太陽は現れる。一か所で早ければ3分くらいかな、そういう撮影ルーチンで写真を撮っていく。すると、この人間はじっとしていてあまり危険を感じないぞ、と思うのだろうか、近くの高い木の葉を落とした枝に小鳥が囀りながらやって来る。小鳥は一羽ではなく数羽で一緒になっている。逆光で高いからなにの鳥かわからないが、ホオジロのようにも思えた。でもホオジロの春から初夏のきれいな大きな声の囀りではなかったな。もっとずっとひそやかに囀り、それは会話をしているようだった。それも内緒話のような小さな囀りで。

 あのねあのね、一昨日の寒い朝には、三丁目の床屋の角の小さな畑の霜柱が今年一番大きくなった。あのねあのね、小学校の入り口の横にある紅梅がやっと咲いたけどいつものメジロがまだ来ないから心配。あのねあのね、あっちの広いチューリップ畑は植えられた球根からほぼぜんぶ芽が出たよ。そんな他愛のないことを話しているんじゃないかというずいぶんおセンチな想像が起きるようなきれいな小さな声だった。

 だけど、小鳥たちにもすぐそこにある危機があるらしい。小さな鷹、チョウゲンボウハヤブサか、それを見極めるところまでの知識はないけれど、一羽の小型な鷹が上空を飛び、それに追われるように数羽の群れになった小鳥が逃げていく場面も見かけたのだった。

 自宅から花菜ガーデンまでの道筋には私の通っていた高校がある。高校から近くのバス通りの交差点までのあいだには二軒のラーメン屋があった。交差点に面して本屋もあった。その本屋で「老人と海」や「夜間飛行」や、「まだらの紐」「踊る人形の秘密」「四つの署名」などのホームズシリーズを買って読んだ。一軒の高校に近い方のラーメン屋は数年前まではまだやっていたが、今日は二軒のラーメン屋も本屋もぜんぶ消えていた。そういうものだろう。

 帰宅して、浦和レッズが2-1で勝っていたのに一人レッドカードで減ってから、とうとうしのぎ切れずに追い付かれる様子を見る。それからOAUのニュー・スプリング・ハーヴェストというミニアルバムに付いていた日比谷野音でのライブDVDを見る。タイトルを邦語にすれば「新しい春の収穫」か。そう考えたら芽キャベツを食べたい、と思ったりする。会社の最寄り駅近くにある小さな串揚げの店で芽キャベツの串揚げを食べた春は2019年だったのだろうか。まだコロナの世界になる前のことだった。そんな普通にあった飲み会のときに撮ったありふれた記念写真のことを思い出す。私はピースサインって今も言うのかな、指をVに出すやつ、そういうことはしてなかったけど、隣に座っていた人も、反対側の隣に座っていた人も、写真にはピースサインを出して私と一緒に笑顔で写っていた。見直して確認するわけでもないけれど。歴史を振り返ると戦争をしていなかった人類の時代なんか一回もなかったんだろうな。だけど、ウ国とロ国は戦争にならないように祈りたい。

 さて、いまテレビの天気予報で「気温は日に日に高くなりそうです」と言っていました。