土木遺産のような歩道橋

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私が通っていた神奈川県平塚市の宗善小学校の南側の国道1号線を西から東へと聖火ランナーが走り抜けるというので、全校生徒が1号線の歩道に並んで、応援をした。前の東京オリンピックのときのことです。ちょうどその頃に、その国道1号線にかかる、崇善第一歩道橋と崇善第二歩道橋が相次いで作られた。オリンピックと歩道橋、どっちが先だったかは覚えてないけれど。あの頃は歩道橋がかかるというのは最新の新しい施策がわが町にもやって来たって感じで嬉しかったものです。しかし、いま、新たに作られている歩道橋ってあるのかな?あの頃より車優先、車崇拝、車が憧れ、っていう世の中ではなくなって、歩行者こそ階段の上り下りなどせずに道を渡れるのが当たり前、と言う価値観に微妙に変化したかもしれない。あるいは歩道橋で渡るならば、エレベーターかエスカレーターで歩道橋への上り下りを可能にすべきということかもしれない。そのうち古い歩道橋は土木遺産のようになっていくのではないか。

でも、ときどき歩道橋を渡るとき、ふと立ち止まり、下の道を行き来する自動車を眺めるのは悪くないと思います。一昨年、パリに出張したときに行った「AUTO PHOTO」写真展のなかに、歩道橋または真下に道が見下ろせるどこかの場所から、真下の車の運転席と助手席で展開されているプライベートの空間にいるようにくつろいだり遊んだりしている運転手と助手席の人を「盗み撮り」「隠し撮り」をしたようなシリーズを見た気がします。ああいうのは「盗み撮り」「隠し撮り」ということを強く思うとのぞき見的な悪趣味な写真のように見えてしまうが、でも実際にはそこには人々の日常の縮図から始まり同時代の人々の考え方や生き方が写っているのではなかったか。写真に写ってしまう個人情報と、個人を撮ることで明かされる普遍的で無名な同時代の先端のうつろい。後者を支持したいが前者を無視できない。

写真の右下の青い「弧」はゴーストですね。歩道橋を渡る家族連れを撮りました。