古い友だち

 東海道本線(東京-熱海/JR東日本区間)の下り、進行方向に向かって左側の窓から外を見ていると、横浜を出て戸塚に向かう途中で国道一号線が線路と平行にあり、このときはこの大きなマースクの輸送トラックが電車とほぼ同じ速度で走って行った。長距離トラックはたぶん横浜の本牧あたりの港などで荷揚げされた荷物を山と積んで、どこか西へと向かっている。やがて国道一号線と東海道本線は離れていき、もうトラックは見えなくなる。

 この写真を撮った電車に乗る前、私は新宿で友だちと飲んでいた。一人は高校時代の同級生で写真部でも一緒だったし、家も近かったから当時はしょっちゅう一緒にいた。仮にA君とすると、そのA君の大学時代の写真部仲間がB君で、私は二十歳の頃にA君の住む遠い町までGWに遊びに行き、そこでB君と知り合った。そういう経緯の友だちだ。彼らと一緒に過ごしたときのエピソードはこのブログの過去記事に何度も書いているだろう。

 あの頃、彼らの撮った写真の何枚かはいまも覚えているし、自室内を探せば、当時もらったキャビネ版のモノクロプリントが出てくるだろう。B君が14歳年下の妹さん(当時は5歳か6歳だ)に花を持たせて夕方の光の中で撮った写真。少女はどこかはにかんでいる。A君がバイクで早春の阿蘇の草千里に行ったときに撮った写真。微粒子でグラデーションが美しい、雲と雪の残る山並みのある風景だ。写真趣味をたぶん60年くらい続けてこれた理由に、最初は父の影響から始まり、ハイティーンになったらファッション雑誌やカメラ雑誌に掲載されるプロの写真を見て、それに憧れて、自分も自分なりに考えた写真を撮っては楽しんでこれたということもあるだろうが、なんだかあの若い日々に同じ写真仲間のA君やB君がいて、ちょうどその頃発刊していた朝日ソノラマ写真選書について、沢渡さんの「ナディア」がいいとか荒木の「わが愛、陽子」がいいとか言いながら、やはりその頃にブルーノートのジャズ名盤シリーズの再プレスレコードが安価に出ていて、そんなのを回しては、深夜までアルコール(当時はウイスキーの水割りかロックを飲む若者が多かったんじゃないだろうか)とともに(私はほとんど飲めなかったが)写真や音楽や映画や小説について語った時間があり、そして彼らから見せてもらった上記のような彼らの写真がすごく上手でいいなと思い、だから自分も撮りたいと思い続けた、そういう20歳21歳22歳・・・があったからだと思います。

 A君と私は高校時代も写真部だったから16歳くらいからずっと写真の話をしてきた。