金沢へ

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木曜日、7月8日にいとこから叔父の訃報の連絡を受ける。それで7月9日に北陸新幹線で金沢へ向かう。叔父とのいろいろな思い出をここにいくつか書こうとは思わない。あるいはもっとたくさんのことを覚えているべきだと思うのに、あまり多くの思い出が浮かばないのがもどかしい感じがする。きっと(これを書いている7/11時点で)なにか叔父のことを書き記すための心の整理がついていないし、あえていまはそういうことは書かずにおこうと思います。茅ケ崎から東京経由で金沢までは四時間弱だった。

北陸新幹線が開通する前、鉄道で金沢へ行くには米原まで東海道新幹線で行き、乗り換えて、北陸本線で向かったものだった。さらに、それ以前は、在来線の夜行特急で早朝に米原まで行き、そこから北陸本線で金沢に向かった。あるいは金沢駅から北陸本線を新潟の方へ向かい、大糸線や中央線経由だったのか、あるいは上越線経由だったのかな・・・そのルートで上野まで走っている夜行もあった。ということはそのルートで金沢に朝に着く夜行もあったのだろう。東海道線米原で下車するまでの夜行急行はたぶん「銀河」でEF58がけん引していたと思う。北回りの後者の急行は「北陸」と言ったのではなかったかな。小学校の高学年か中学1年の頃に、金沢駅を夜の8時か9時か(あるいはもっと遅かったのか)に発車する寝台急行「北陸」に乗って、朝早く上野駅に戻ってきたことがあった。たいていは東海道線周りで当時住んでいた平塚と父の実家のあった金沢のあいだを年に一度か二度の帰省のときには使っていたから「北陸」に乗ったのはこのときだけだったかもしれない。そのときには、金沢駅を出発するときホームまで見送りに来てくれたいとこが走り出した客車に合わせてホームをずっと走って、ホームの端まで走って手を振ってくれた、その光景を覚えている。ほかの客やホームの柱にぶつからないかはらはらしたものだ。もうひとつはその旅行ですっかり疲れてしまったのか、帰宅した日に突然38℃くらいの熱が出た。ところがその熱が出た日の翌日に、妹が~当時は幼稚園の年中か年長だった~習っていたリトミックの発表会の予定があって、それを応援兼見学に観に行く予定があったのだ。それで、妹の晴れ舞台をなんとか見たいと必死に熱よ下がれ!熱よ下がれ!と念じながらひがないちにち横になっていたら、翌朝には熱が下がって、その発表会には行くことが出来たのだった。昭和40年代前半のことです。当時はSLブームで、東海道線(あるいは東海道新幹線)→米原早朝乗り換え→北陸本線で行くときには通りすがりの車窓からでもSLを見て写真を撮ろうと必死になっていた。新幹線の窓から掛川の駅を見下ろすと二俣線のC58が見える。北陸本線に乗り換えると敦賀小浜線のC58が見える。そのあとも、よく覚えていないけれど、越美北線にC11とか8600系とかが走っていたかもしれない。車窓からSLの写真を少しでも鮮明に撮りたかったわたしは、もうすぐSLが見える(かもしれない)駅に近くなると、四人掛けボックス席の窓を開けて待ち伏せをしていた。もちろん窓を開けると風がごおごおと吹き込んでくる。窓を開けたあとにトンネルなどがあると吹き込む風もすさまじい。それでボックス席に私と家族以外の客がいると窓を開けることが出来ないのだった。

父はずっと北陸の方で暮らしていたが、私が2歳の1959年頃に神奈川県平塚市に引っ越してきた。金沢からはときどき荷物が届いた。お中元とかお歳暮だったのか、あるいは送るものの旬の季節になると送ってくれていたのか、香箱蟹、ゴリとくるみの佃煮、かぶら寿司、などが届いた。母は北陸出身ではなかったが、ときどき金沢の料理である治部煮を作った。

幼稚園から小学校の頃は昆虫が大好きだった。ある夏に金沢で法事があって本堂での読経のあと親戚一同で卒塔婆とか花を持って先祖の墓に歩いて行った。そのときに百日紅の木で鳴いているアブラ蝉を見つけて素手で捕まえた。見ると、そのアブラ蝉はからだ全体のシルエットがアブラ蝉らしい撫で肩な感じではなくもっとクマゼミのようないかり肩な感じだった。肩と書いたが実際は目とか羽根の付け根のあたりの形のことだ。そのとき、こんなシルエットのアブラ蝉は見たことがないぞ、と思った。かっこいいな、と思った。しかし父だったか親戚の誰かだったかに、お寺で捕まえた蝉は放してあげなさいと言われ、なくなく放したのだった。大人になってしまえばずいぶんどうでもいいことだと思えるが、当時はかっこいいアブラ蝉を放すのはとても残念だったのでこうして記憶にあるのではないか。

どういう記憶を覚えているものかは人によってそれぞれなのだろう。楽しかったこと嬉しかったこと誇らしかったことをよく覚えていて、悲しかったことや辛かったことや我慢したことや悔しい思いをしたことはさっさと忘れていく、と言う人もいれば、その反対の人もいるだろう。わたしはたぶん後者だと思う。

北陸新幹線は突っ走る。ずっと防音壁やトンネルが続いていて、車窓風景を楽しむという感じではないのだった。この写真は一瞬見えた風景。梅雨らしい天気が続きます。

こんな風に思い出話ばっかり書いているのは、なんだか情けないことだと思ったりする。