私写真としてのホームライナー

  2009年に撮った写真を例によって見返していたら、大宮駅で撮ったこんな写真を見つけました。14年前ですか、このときに10歳だった子供はいまや24歳で、そうか、今年あたり入社してきた院卒新入社員は・・・私がこの写真を撮った14年前なんか、私のこの年齢になるとちょっとだけ前に過ぎない気がするのですが・・・彼らが10歳だったと思うと、びっくりしてしまうほど昔ということなんですかね。この頃は宇都宮に単身赴任していて、週末に帰宅するとき、宇都宮発たしか18:39くらいの上野行の快速に乗り、大宮で高崎線から来る熱海行に一回乗り換えると、結果最速で、2時間45分くらいで茅ケ崎駅に到着したので、よく使っていました。これだと確実に座れましたね。仮に新幹線を使っても、座るために東京駅で東海道線を一本やり過ごすとか、当時30分に一本あった湘南ライナーに時間を合わせるとなると結局2時間掛かってしまうから、料金差を考えると、この在来線快速を使って大宮で乗り換える作戦が時間的にも料金的にもラクチン移動可能性からも、効率的だった。ある時期、その作戦で乗り換える大宮駅で、この、むかし東海道新幹線が走り出す前には花形だった特急こだまに使われていた181系(またはそれと似たデザインの400番台の電車でしょうか?)がホームライナーに使われていたので、一枚撮ってあったものです。鉄っちゃん的にはせめて反対側ホームから足回りまで写せよ!となるのでしょうが、これはそういう生活をしていたころの私写真なのだからしょうがないのです、これでいいのです。

 2時間電車に乗っているのは普通の感覚なら「長い」「あきる」「めんどくさい」となるのでしょうが、私はずっと車窓に流れ去る風景を写真に撮ったり、読書をしたりで、ぜんぜん飽きない人なのでむしろ楽しかった。

 1965年頃かな、はじめて新幹線に乗ったときには晴れがましい気分だった。誇らしい気持ちがしたものです。まだ特別なエリートな感じが「新幹線に乗る」という行為にあったのかな。

 情けないはなし。その誇らしい気分だった新幹線にはじめて乗ったとき、それは家族で父の実家のある金沢へ向かうために米原まで新幹線に乗ったときだったのですが、車中売りに来たカレーライスを買って昼ごはんとして食べた、そのカレーを妹(2歳か3歳だった妹)が白い服にこぼしたのですね。もちろん母が右往左往してふき取ったりでちょっとバタバタした。そのときに私は妹の気持ちなんかぜんぜん慮ることが出来ず、ただこのハレの日になんという粗相をしてくれるんだ!とすっかり機嫌を悪くしてしまった。そんなことって、何十年経っても後悔として消えずに残るものですね。