記憶の変容の表現アイデア

 去年の夏も、今年の夏と同じように暑かったのだろうか。きっと同じように暑かった日があったに違いない。個々の日のことを辿ると、ここ数年の夏のある日に、あのときはこんな風に過ごしてとても暑かったよなと、エピソード記憶に暑かったということがセットで思い出される。しかし、ひとつひとつのエピソードはぼかしてしまい、全体としての一つ前の夏、二つ前の夏、三つ前の夏・・・と思いを馳せると、記憶の中の夏はいつもだんだん、時を遡れば遡るほど、同じ夏の蒸し暑さであっても、いまよりは柔らかく優しい「暑さ」だったように思える。それは記憶がだんだんと曖昧になり角が取れ、懐かしさを纏い始め、記憶の中のイメージの印象が「セピア」になり「ぼんやり」してくるように、暑かった過去の夏のエッヂも角が取れるみたいだ。そして現実の夏はこうして辟易としてしまうほど暑いのに、記憶の夏はいつだって懐かしさとともに憧れであって、これからの未来の夏は、過去の思い出の夏のようにならないかな・・・などと思うセンチメント。

 写真は一年前に撮ったものから例によってHDDへの旅をして、というより、HDDの中にある画像データの「海」に潜って行って、拾ってきたものです。そして、ちょっとお遊びのようなものだけれど、一年前なので画像データ(ブログ用に2100×1400にしています)に1ピクセル分のガウスぼかしを与えてみました。

 n年前の夏の海の写真を探してきて、nピクセルだけガウスぼかしをかけて行く、という連作は面白いだろうか、ふとアイデア浮かびました(笑)