鳥の影

 

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上空低くゴイサギが旋回してから北の方へ飛んで行きました。200mm(相当)の望遠レンズのついてる小型単眼鏡カメラなるもので慌てて撮るがピントがぶれているので、こんな風にデータをいじってしまう。

テレワークは朝の7時から仕事を初めて午後4時前には終えてしまうから、それから散歩をすればまだぎりぎり明るい。散歩の途中でコンビニに寄る日と、寄らない日がある。帰ってからそうそうに風呂にはいってしまう。そのあと大相撲の最後の四番か五番をテレビで見る。そういうのを三日くらい続けているけれど、たかが三日では習慣とは言わないのだろうか。気分としてはもはやこれが習慣のようで、少し飽きている。

 




川沿いの道

 

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1月18日の夕刻の散歩のときに撮った写真は、帰宅してからPCに取り込んで眺めても、どのコマ(コマという言い方がすでにフイルム時代の名残かもしれない。もちろんフイルムではなくデジタルで撮ってます)もぱっとしない。そこでその日にはブログにも写真をアップせず数日経ってからもう一度見ると、今度はこの上の写真と下の写真と、もう一枚くらい、まぁまぁいいんじゃないか、と思える写真が、今度は見つかった。そこで18日のブログに21日にこの写真を上げて、22日にいまこうして文章を書いています。

以前も書いたけれど、たぶん、撮ってきたすぐに写真を見直すときには、そこを今撮ってきたという記憶が生々しくあるから、平面となった視覚情報だけがぽんと目の前で再生されてもなんとなく面食らってしまうのではないか。それでどの写真も気に入らない・・・という風に気持ちが動くのはもしかしたら個人の性格かもしくはその日の気分のせいかもしれない。なかには、そういうときはどの写真もよく見えるが後日になると色褪せるという人もいるかもしれないが。須田一政さんはフイルムは撮ってすぐには結果が見えないから、写真が出来上がるまでに時間がかかる。その時間にあのときとった写真はどう写っているだろうか・・・と妄想する、その妄想する時間が写真を変えているとも言える、ということをおっしゃっていたな。変わるのは見方なんだけど、たしかに写真は見られてこそ写真なのだから、それは写真が変わるということだろう。

21日になってみると、上の写真はターナーあたりの風景画に描かれるような冬枯れた端正な風景写真に思える。一方下の写真は実際にそこにいたときはもう少し家の水色が鮮やかに見えたと思うのだが、それこそ生々しい記憶に引きずられて写真を眺めているってことで、撮影者以外の鑑賞者はそんなことは知らないから、そこにこだわらなくてもいいのだろうな。中学生から高校生のころにフォークギターブームが起きていて、楽器やでやすい方から二番目くらいのフォークギターを買ってもらい、本屋で買って来たコード譜の乗っている雑誌で、指先が痛い!と思いながら練習を始めた、そのころに「朝日のあたる家」という曲がありました。下の写真を眺めているうちに「夕日にあたる家」だな、と思った。そこに高速道路があったから高速道路ももちろん写る。べつに高速道路があることになにか社会的な課題を告発したりしたいわけではない。これもありふれた今の光景だと思うだけだ。目下の最大の焦燥はその「朝日のあたる家」のメロディーが出てこないことだな。この文章を書き終わったら聞いてみよう、YouTubeで。

昨夕、この上の写真を眺めながら、なぜだか「スカボロフェアー」のメロディが自分の頭のなかで流れました。スカボロフェアが冬を歌っているわけではないのに、そのちょっと哀愁のある感じが写真と呼応したのかな、自分の心のなかで。小学生のときに映画「卒業」を観たのは、平塚市の映画館で「小さな恋のメロディ」と二本立てだったからだと思う。たぶん小学校6年生だったかな。なんだか大人の世界を垣間見た気がしたが、どこまで理解して観ていたものか・・・ただ、サイモンとガーファンクルの曲は、その素晴らしいメロディを、みな覚えたものだった。パセリ、セージ、ローズマリー、&タイム。そのころはこれらの香草のうち知っているのはパセリだけだった。だれかにセージとローズマリーとタイム、は香りのする植物の名前だと聞いて、単純に西欧はかっこいいな、などと思っていたのだった。

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地図みたい

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一日中家にいる日曜日。新型コロナウイルス感染症を抑えようと二回目の緊急事態宣言に基づく行動指針が出されているが、今回は昨年の要請のときほど皆さんが要請に答えないようだ。

午前に再放送の「プロフェッショナル仕事の流儀石川佳純スペシャル」を観てしまった。なぜ「しまった」のかと言うと、当然その番組を観ると石川選手を応援したくなるわけで、そんな状態で午後になって全日本卓球選手権の決勝があって、石川選手と伊藤選手が試合をすることになったのである。伊藤選手には申し訳ないが、ここはどうしても石川選手を応援してしまう。本当は伊藤選手にも、プロフェッショナル仕事の流儀で明かされた石川選手の努力と葛藤と挑戦と挫折のようなことが、同じくあって、それが積み重なっての今日なのだろうけれど。しかも1-3とリードされてからの3セット取り返しての石川の優勝となって(しかも5セット目はジュースの末にセットを取るという・・・)なんというかすごい物語ですね。スポーツではこういうすごい物語に出会えてそれが勇気や努力の象徴になりえるからすごい。

ところで、そういうときの感動の大きさを求めるならば、下馬評の低いお金のないチームを応援すべきです。ときに下馬評を覆す大どんでん返しが起きたときの感動がすごいから(これ湘南ベルマーレのことを言いたいのですけどね(笑))スポーツなんか見ないし、人の出した結果にいちいち翻弄はされないぞ、という気持ちもわかるのだが、自分もそういう風に思うときも(とくにひいきのチームが負けると・・・そしてほとんど負けるのが昨今の湘南ベルマーレなんです)あるのだけれど・・・。でも、すごいなスポーツ!と今日は思う。自分ではなくても、そういうすごい結果を出す人を観ることで、勇気がもらえたり励まされたりするのだから、捨てたもんじゃないな。そんなスポーツイベントの頂点でもある東京オリンピックは今年開かれるのだろうか。例えば、各国選手はワクチンを打ってから、さらに自国出国前の二週間隔離ののち成田でPCR検査をして、そののち選手村入りし、選手村でも個室に閉じこもってもらって料理は配膳。練習は・・・どうしようか・・・。そして、試合の直前に再度の検査をしたのちに陰性を確認。そして無観客の会場で試合を行う。くらいのことをやってでも代表選手たちには競う場をちゃんと提供してあげてほしい。

写真は、昨年の12月だったか、葉山の神奈川県立近代美術館に行ったときに砂浜に落ちていた石ころ。なんか道筋を俯瞰して描いた地図のような模様だと思って拾って、捨てられず、ポケットに入れてきたのです。

今日も靴の箱の中から出てきた2000年頃にコピーをしたCD-Rを何枚か聴いてみる。LPレコードから録音したものを聴いてみる。山本剛トリオのレッド・ガーデニアは最後のTOO SHY TO SAYと言うバラッドが好きだった。今日聞いてもいい曲だった。安田南のサニー。赤とんぼ~フライミートゥーザムーンの流れが懐かしい。スティルス・ヤング・バンドの「太陽の旅路」、ニール・ヤングとスティーブン・スティルスは作る曲調がぜんぜん違うのですがアルバムとしてトータルで収まりがいいのが不思議。

CD-RではなくCDで、ズート・シムスの「ソプラノサックス」とか、アート・ファーマージム・ホールのライブとか、いろいろと掛けてみた一日だった。

なぜ撮るか

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小学生の低学年の頃、叔母が住んでいた浦和市の田島団地の家で、夏休み、トランジスタラジオで高校野球の試合を夢中になって聞いていたことがあった。その試合が白熱した好ゲームで手に汗握るようなものだったのだろうか?試合の中身はなにも覚えていないけれど、私は、こんなに面白いゲームなんだから、これを知らない人にぜひこの放送を聞いてもらいたい、と思った。そこでトランジスタラジオのボリュームを最大にしてから、それを持ってベランダに出た。そこで即刻叱られて、その企みは頓挫した。そんあことを思い出す。日が沈んで20分くらい経っただろうか。茅ヶ崎の浜見平団地の古い建物はここ数年かけて次々に新しい建物に建て替えられているから、このエリアの建物も近々に取り壊されるのかもしれない。黒い大きな犬を連れた人が歩いている。買った長ネギを持ったおばあさんが、自分の家のある階段を上って行った。

どこかの家からカレーの香りがするとか、ときどきつかえるピアノの練習の音がするとか、布団を叩く音があちこちから聞こえるとか、そういうのが庶民の幸せな暮らし、洒落た団地生活の象徴みたいな感じの「具体例」の定番みたいだった。70年代の前半かな。子供たちが集まって走って過ぎていく。

今日の夕暮れの団地はしんとしていた。

写真を撮る動機は、懐かしい光景だ、と感じることによって発生する。いや、発生することもある、かな。他の動機もあるから。例えば下の写真は、懐かしさが動機ではないだろう。誰かの写真に感化されてちょっと欲があって撮っているのではないだろうか。

撮る動機なんていちいち自分で考えてから撮ってない。でもこうしてあとから撮ってきた写真を眺めて考える。自問自答。どうしてそこを撮るのか、自分を知るために写真を撮っては考えたりします。ときどきですけどね。

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夜を徹して

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30歳の頃、故・森田芳光監督の「の・ようなもの」と言う映画が好きで、テレビの深夜番組で放送されたときに、VHSビデオテープに録画をしておいて、何度も何度も観た。若手落語家を描いた青春映画。この映画の中で主人公の若手落語家しん魚(しんとと)が女子高校生とデートをしたあとその子の家まで送って行き、帰りに終電を逃し、歩いて帰る場面があった。終電が行ってしまったのは京成の堀切菖蒲園とかそのあたりの駅だったかな、そこから浅草を越えて家に歩いて帰る。このとき、しん魚が夜の町の光景を目にしながらその光景を頭の中で短い言葉で描写していく場面があって、そこがすごくいい。きっと設定は夏で、家に着くころにはもう明るいから、例えば堀切菖蒲園の駅が深夜1時近くで終電を逃し、3時間くらい歩いて帰るという設定だったのだろうか。具体的にしん魚の(頭のなかの)言葉を覚えているわけではないが、例えば墨田川を渡るときには「墨田川を渡る京成線の鉄橋を始発電車が渡っていく、どこへ行くのか暁烏・・・しんととしんとと」といった感じの言葉だった(映画ではそれが詩のように画面と同時に声として聞こえる)。

私も同人になっている写真同人ニセアカシアのメンバーの林さんが、ニセアカシア3号写真集に掲載した「かえり道」という作品のページをめくると、映画と同じように終電を逃し歩いて帰る道すがらに撮ったモノクロの正方形の写真に言葉が添えられている川面の月影を撮った写真には「幾筋かの川を越えて。川面に映る月明かり。振り返ってみる街の灯。」とあり、例えば交差点のタクシーを撮った写真には「夜も更けて憩いの地に安らぐ車は、明るくそしてささやかに、記憶を霧と消してゆく。」と書かれている。

ところで、林さんがその新しい朝をどう迎えたのかは知らないが、映画の方はこっそりと深夜に家からスクーターで抜け出した女子高生の彼女が先回りしてしん魚を待っているという粋な場面があってほっこりする。

あるいは、これまた私が大好きだった故・市川準監督の「大阪物語」と言う映画では失踪した父親を捜して中学生の女の子(主人公)とそのともだちの男の子の二人が大阪の街を彷徨う。彷徨うという単語よりもっと疾風のごとく駆け回る感じかな。

今朝は出勤の往路はマッコイ・タイナーのFLY WITH THE WINDを流していた。マッコイ・タイナーの曲はいつも疾走感と焦燥を同時に感じる。目的に向かってその途中にあり急いでいる感じがある。もちろん「の・ようなもの」にせよ「大阪物語」にせよその場面ではなにか音楽が流れていたのだと思うし、それは決してマッコイ・タイナーではなくて、もっとその場面にふさわしい音楽が選ばれているに違いない。が、例えばこんな場面が浮かぶように音楽を聴いて映像が思い浮かぶ力がとても強いのだった。

すなわちマッコイ・タイナーのFLY WITH THE WINDという映画を観ているような感じになる音楽なのだ。一曲目二曲目三曲目とその流れもそういう感じなのだった。

 

帰りはUAのTURBO。2000年頃に近所にTSUTAYAがあったのでせっせとCDを借りてきてはCDーRにコピーしていた。そんなCD-Rが靴を買ったときの箱にたくさん入っているのを久々に発掘したのでその中にあったこのアルバムを今日は久々に掛けてみた。2000年頃、長距離通勤をしていて、CDウォークマンで音楽を聴きながら電車の中で小さなPC(当時富士通から出たLOOXという小さめのノートパソコン)で文章を書いていた。日記とか小説(まがい)。一曲目のプライベート・サーファーではアナログレコードのようなスクラッチノイズ(風)な音から始まる。2000年当時、このノイズは作品としての音なのか、それともCDウォークマンが静電気でも拾ってノイズまがいの音を出してしまうのか?一瞬半信半疑になったことがあったのを思い出す。今日は、スカートの砂、と言う曲を三回か四回繰り返し聞いたところで家に着いた。

 

ほかに五十嵐一生ミーツ板橋文男というアルバムも持って行ったが、そのアルバムは今日は聴けなかった。

近視眼では見えなかったオリオン

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緊急事態宣言発令後、テレワークと自家用車での出勤の半々くらいの組み合わせになる。昨日と本日は自宅でテレワーク。すると一日の歩数が激減する。いつもは自家用車で出勤しているだけで5000歩、電車出勤なら8000歩。休日にウォーキングするときの目安は10000歩。でもテレワークでどこにも行かないと500歩も行かない。昨日は500歩も行かない日だったので、今日はテレワーク終了後にウォーキングしてきましたが、もう17:00過ぎは暗い。ショートコースって感じで5000歩程度。最近PC作業や読書のときには視力0.5くらいになる近距離用の眼鏡を掛けている。運転するときには視力1.0くらいになる今までずっと使っている度数の眼鏡に切り替える。すなわち後者の眼鏡だと近い距離が見えなくなった。夕方の散歩に出たときに、近距離用眼鏡で出てしまった。なので遠くはあまりよく見えない。ここを撮ろうと思うときも写真に写ったほどははっきり見えていない。もちろん星など見極められないのだった。

そして、帰宅後、散歩のときに撮った写真をパソコンに取り込んでから眺めていたら、オリオン座やらおうし座やらが写っている。その場で見極められなかったものが写真では写っている、ということは別段珍しいことではないのかもしれないが、わかりやすい例は望遠レンズで拡大したってときとかマクロレンズで接近したときであって、手持ちで撮ったスナップで目に見えなかった星座がちゃんと写っているっていうのは、まぁ近距離眼鏡で出てしまったわたしの理由なのだけれど、それでもちょっとびっくりしました。このブログ用に解像度を落とした写真でもなんとかオリオン座はわかりますね。

夜のスナップはなんかズルいですね。昼間だと撮らないようなところでも夜になるとおどろおどろしかったり寒々したり、なにかが隠れてなにかが際立ったり。木々には宿っているものがいるようだし、影は本体とは関係なく動いていそうだし、自転車で追い越して行った人の鞄のなかには誰にも見せられないものが必ずあるみたいだった。

デジタルカメラ

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2000年代半ば、デジタルカメラが急拡大を始めたときに、よく、撮影後に画像処理を施すことの可否に関する議論があったが、あまり最近は聞かなくなった。上の写真は、JPEGのRGBデータをモノクロ変換(カラー情報破棄)してからふたたびRGBにしてから、ノイズ付与とトーンカーヴ補正を行ってます。ではフイルム時代はこういうことをやらなかったのか?と言えばずいぶんやったよねえ。ただ、あとから選択肢があって、元に戻れるというところがデジタルとは違うのかな。たとえば、増感高温フイルム現像すれば粒子が荒れたし(ノイズ付与)引き伸ばしの印画紙の号数を変えるとコントラストも変わった(トーンカーヴ補正)。引き伸ばしレンズの前にストッキングを置いて光を拡散させればソフトフォーカスに出来たし、デジタルでレイヤーなどを使ってちゃちゃっと出来る覆い焼きや追い焼きも、引き伸ばし感光時間に掌等で光の照射量を場所によってコントロールすれば可能だった。いかにもアナログ的作業なので同じプリントを作るのは難しかったものの。なので当時は、アナログでもやっていたことがより簡単に出来るようになっただけで、これらの画像処理はまったく問題ないでしょう、と私は思っていた。今もそうですね。それではなにか背景に不要のものを消したり、色を変えたり、そういうのは?アナログ時代だってスポッティング作業等でそれだって可能だったけれど、高難度技だったし、アナログ時代にも「それはさすがにダメでしょう」と言う感覚はあった。デジタルカメラから写真をはじめた人にはこんな微妙なハードルはないのかもしれないですね。わからないけど。

部屋を片付けていて、ずっと見ていなかったDVDを見たり、買ったまんまろくに読んでなかった雑誌をじっくりと読んだりした。

十数年前にNHKで放送された森山大道のドキュメンタリー番組では、森山さんがはじめてリコー社のコンパクトデジタルカメラを使い方の説明をその場で聞いて、銀座を撮り始める場面があった。そして少し撮ったあとにその感想として、ポラロイドにちょっと似ているな。でもポラは撮ったらすぐに過去が写っている感じがするけど、デジタルはそこが違う、と最初の感想を話していた。なるほどな、と思った。

2018年の雑誌kotoba33号は「アブナイ、あぶない、危ない写真」と言う号。買ってすぐにちょっとは読んだ気がするのだが、読み直しても読んだ記憶がまったく起きない。それはさておき、篠山紀信が、デジタルカメラはあとでなんでもできるから撮っているときの緊張感がない、と言っている。(フイルムカメラで撮るということは)かけがえのない一瞬を撮る、その一瞬を知っている人と、あとからどうにでもなると思う人では全く違う、話のレベルが違う、と続く。そして、写真家は僕(の世代)で終わりです。デジタルの人はね、新しいジャンルのひとたち(で写真家とは呼ばない)と、まとめている。

森山さんも篠山さんも1940年前後の生まれだろうから、その後の人たちはどう言うのだろうか?いま、フイルムにまったく関与せずに出てきた写真家って誰がいるのだろう?そしてこの件についてはどう言うのだろう?森山さんとか篠山さんよりはるかに若い写真家で、ちょっといいなと思い浮かぶひとたち、瀧本さんとか奥山さんとか、あるいは人気の梅さんや川島さん、みんなフイルム使いだったような。すなわちフイルムからデジタルという流れが普通とか、いわゆる「便利」で「失敗確率が減った」といった次元とは違うところで使用機材が選択されている、使用機材の選択肢のなかにデジタルも入って来ていてTPOで選びますよ、と言うことになっている気がする。迅速な電送を必要とするスポーツやニュースの場面ではフイルムってわけにはいかないのだろう。

なんて話は実はたいしたことではないのかな。いずれにしてもこうしてこのブログのページに上のモノクロの犬のいる風景の写真がある。最初この犬は私に尻を向けて、向こう側に向かって激しく吠えていた。そのうちふとこちらに気付いて、向きを変えているところがこの写真。そのあと今度はこちらに向かって、ものすごい声で吠え始めた。当然繋がれている犬だけれど、けっこうびびりましたね。