鰻重を食べる


南風の強かった一昨日、夕方都内のとある駅のプラットフォームで電車を待っていたら鰻を焼く匂いが漂ってきた。ふんふん、いい匂い。
一昨日は、家を出るときに半分くらいまで読み進んでいた山崎ナオコーラ著「論理と感性は相反しない」をビジネスバッグに入れて通勤したのだが、会社に着くまでに読み終えてしまった。それで、非常に焦る。自分が重度の活字中毒者だったのをあらためて知る。帰りの通勤電車に乗っている一時間あまりのあいだに読む本がなくなるということが我慢できないのだった。そこで、とある街ですぐに乗換えをせずに、ブックオフに行ってみた。
 最近、部屋を整理していて、本棚の一番下の段に入れてあった古い雑誌を気紛れに開いてみた。少し前のブログに古いエスクァイアの旅先で読む本特集のような号で多和田葉子の著作が紹介されているのを見つけて、何冊か読んでいる。同じような特集のブルータスも保存してあって、そっちも開いてみた。それで、そこから何冊かの読みたい本をメモ用紙に書き出しておいて、数日前にそれなりの大きな本屋へ行ってみたのだが、そのブルータスは2005年のものだったか2007年のものだったか、いずれ数年前の雑誌に過ぎないのに、メモに書き出した本が一冊もなかった。
 きっとブックオフならあるだろうと安易に思っていた、というか楽観的発想ですね。だけど、そう上手く行かない。ブックオフにもメモに書き出した本は見つからなかった。
 ではどうする?これから帰宅のための通勤電車で何を読むか?
 さっさと帰っていれば、もう家に着くころで、家には未読の本が何本も塔になっているのだ。それなのに、これから電車に乗るあいだに読む本を決めあぐねて、電車の乗車時間以上の時間をかけて店内をさまよっている。
 結局、朝吹真理子著「きことわ」を見つけて購入したのだった。
 その本を、電車を待つ列に並んで早速に読み始めたときに、冒頭に書いた鰻を焼く匂いを嗅いだのだった。
 さて、そこまでならともかく、電車が茅ヶ崎駅に着いて、電車を降りたら、なんとそのときにまた鰻を焼く匂いを嗅いだ!駅のすぐ南側に鰻屋なんかあっただろうか?鰻ではなく別の何かを焼く匂いを、鰻と勘違いしただけなのか?いずれにせよ、乗車駅と降車駅の両方で鰻を焼く匂いを嗅いだのが一昨日のことだ。勿論のこと、私は一昨日の夕方に約三分の一くらいまで読み進んだ「きことわ」を持ちながら、この週末には鰻を食べようと思った、というかこれはもう決意ですね、そう決意したのだ。

 と、以上前置きが長くなったけれど、今日、藤沢のはま吉で鰻重を食べた。ちょうど一年くらいまえにも同じ店で食べたから、結局は、プラットフォームで匂いを嗅がなくても何らかの触媒的効果で、この季節になると鰻を食べたくなっているのを認識させられ、必ず食べているのかもしれない。はま吉はカウンター席があるから一人でも入りやすい。

 そのあと、あまり乗り気のしないまま江の島まで行ってみる。稚児が淵に行くが、満ち潮の時間らしく、岩場は立ち入り禁止で、数週間前に撮ったようなスローシャッター写真が撮れない。まあ、写真なんて、事前に妄想すると必ずその通りにはならないのに違いない。上の写真は波が雪みたいに見えるでしょうか?ちょっとトーンカーヴなどをいじってみました。 

きことわ

きことわ

なかなかに楽しめました。保坂和志著カンバセーション・ピースとどこかつながる、という感想を持ちました。女流だからなのか(?一派一絡げは失礼だが・・・)独特の柔らかさがいいですね。