ちぐはぐな散歩


 朝、8時からTSUTAYAで借りたDVDで映画「潜水服は蝶の夢を見る」を観る。先日のニセアカシア発行所展覧会で若いM君が私の展示を見て、その映画を思い出したので是非観てみて欲しい、と言ってくれたので。子供たちが出てくる場面になるとぐっと来る。M君の言っていたことは少し判る気がする。よく、写真を見てもらったときに、映画の名前を挙げて感想を伝えてくださることがある。2011年にTRAVIS LINEというタイトルの写真展をやったことがあった。このタイトルは須田一政さんが私の写真を見て、映画「パリ・テキサス」のことを挙げたから、その主人公の名前を使ってみたのである。

 昨日も今日も暑い。茅ヶ崎は海沿いの街で、そうは言っても大抵は32℃とかせいぜい33℃までしか気温は上がらない。だけど天気の結果を見ると、昨日の全国の主要都市最高気温は軒並み35℃を越えたようだった。

 昨日は、午前にこのブログの何日か分を書いたあとに、8月に大阪で開催する個展の写真の額装を一日中、ずーっとやっていた。けっこう手間がかかる。午後7時からはJ2の湘南対富山の試合をスカパーオンデマンドで観戦。攻めっぱなしのわりには点数が入らない。

 一昨日に朝吹真理子著「流跡」をやっとこさっとこ読み終えた。たかだか100ページも満たない文庫本を読むのにずいぶんと時間がかかった。冒頭の読書の場面で、読んでもその時間が消えてしまい読んだ内容も曖昧模糊としてつかめない、といったような焦燥感と、それに茫然とするような気持ちが立ち上る。この小説がその冒頭の通りの混迷を極めた読書になることを、ちゃんと操作しつつ書いているのだとすると、すごい。完全に罠にはまった感じで、中身の物語が面白い面白くないといった次元ではなくて、とにかく茫然としてしまっているのが読後感ならず読後状態。

 柴崎友香芥川賞をとったそうで、そうなのか。。。数年前には期待しつつ四五冊の本を読んだが、そのころは文章がぶっきらぼうな感が性に合わないことと、どうも描かれているのが(その時点までの著者の生きてきたまだ視野の狭い)自分と、それを肯定的に含む狭い範囲に限られている感じが、何冊読んでもぬぐえず、いやそうであっても面白いなりなんなり読後に読んでよかったという思いが生じればよいのだが、そういうことも生じずにいて、結局ここ数年はもうこの作家の本を読むことはやめてしまった。だけど、賞を取って突然大々的に広告が打たれて、選考委員の褒め言葉なんかを読んでいると、ちっとは世界が広がっているのかしら、だとしたら読んでみようかしら、とも思わなくもないのだった。どうしようかなあ。

 今日は映画をDVDで見た後にカメラを持って出掛けることにするのだが、行き先が決まらない。横浜の大桟橋あたりに行ってみようかな、と思いつつ、鎌倉でもいいかな、とも考えていて、それにしてもまだ朝食を食べてないぞと、とりあえず大船駅で改札を出てみたりして。
 大船始発だからという理由で京浜東北線に乗り、降りたことがないけど面白い町かもしれないぞと磯子で降り、マンションの立ち並ぶ国道沿いを汗をかきながら歩いてみて、なにか期待していたような街の典型があったのかどうかよく判らないが、そこを歩いているという事実の理由のちぐはぐさに自分自身でよく理解できないままどうにもやりきれないようなつまらない景色が続いているように思う。ところが帰ってきて写真を見ると結構面白かったりもするからなんなのでしょうか。
 あちらこちら路地を曲がったり海の方に折れたりしながら、浜マーケットという古いアーケードまで歩いて、そこからバスに乗り、関内まで出て、桜木町から電車を乗り継いで夕方に茅ヶ崎に戻った。
 どこかで珈琲を飲みながら本を読みたいものだ、それもゆっくりと。と思うのはいつものことで、そしてこれまたいつもと同じくそんな時間は作れずに、結局茅ヶ崎駅のスタバでクールライムを飲んで、30分ほど読書をしたが、家族のTと待ち合わせた時間になり、駅ビルで早めの夕食を食べて、早々に帰宅する。