夏の思い出を話すのはちょっとダサい

 写真は一昨日行ったリヒター展です。

 今日、早くも関東地方は梅雨明け宣言が出た。それこそ一昨日のこのブログに真夏のように暑く晴れ渡った日だけれど、きっとまだ梅雨前線は南にあって、梅雨明け後の真夏の日とは気象図から見ると違うんだろう、なんてことを書いたけれど、梅雨前線はもう北に行ったか消滅したの?・・・と思って、例によってちゃちゃっとやってみたら、梅雨前線がない、という気象図になっているとのこと。どこへ行ったのだろう?

 本来なら梅雨は7月の中旬か下旬に明ける。そしてそれとほぼ同時に夏休みが始まった。

 名古屋に下宿していた学生時代の夏、18歳の夏休み前最後の授業が終わった日に、夜の11時頃に名古屋を出る急行(たぶん当時はそういう急行があったと思う)に乗って諏訪に早朝に着き、バスで霧ケ峰に行った。だけど霧ケ峰はガスっていて、ニッコウキスゲを見渡すことなど出来ず、予定より早いバスで諏訪に戻って来て、たしか駅前の映画館で映画を観て時間をつぶしてから中央東線経由で平塚市の実家に帰ったと思う。この話はきっとこの長年続けているブログのどこかに書いていると思う。この年はつま恋吉田拓郎かぐや姫の徹夜コンサートがあって8月になったら平塚から下りの普通電車に乗って掛川つま恋)まで行ったものだった。

 19歳の夏休みは実家のある神奈川県平塚市の自動車学校へ通って普通免許を取った。その前に名古屋で吉田拓郎のコンサートがあって、それを聴いてから帰るのだが、コンサートの予定日が、拓郎が風邪を引いたかなにかで一週間くらい後ろにずれたこともあって、実家に戻るのも自動車学校へ通い始めるのもその日数だけ遅くなった。毎日毎日拓郎のコンサートの日になるのを本を読みながら待っていた。たぶん五木寛之とか横溝正史。記憶ってのは面白いもので、拓郎が演奏したり歌ったり、曲の合間に話したことは、なにも覚えてないのです。何の曲を歌ったのかも。そのツアーが「明日に向かて走れ」というアルバムが出たあとのツアーだったから、そのタイトル曲はたぶん歌われたに違いないのだが。この曲の歌詞では

♪ほら、おなじみの友が来たよ 何か話せよと だけど 明日に向かって走れ 言葉を繕う前に♪

という歌詞が好きだった。言葉を繕う前に、のところが。後年、村上春樹のなにかの小説に、学生運動の最中、行動が思想を決定すると言われたがなにが行動を決めるのかは誰も教えてくれなかった、といったことが書いてあった(気がする)。たぶん風の歌に書かれていたんじゃないかな、ピンボールかしら。春樹はシニカルだけど、あの頃はちょっとそういう「言葉を繕わず走れ」といったようなのがかっこいいとされていた。一つ前のアルバム「今はまだ人生を語らず」も同じようなメッセージだろうか。繰り返すが、コンサートで拓郎が歌ったり話したところは覚えていないが、そのかわり、駅を降りて会場までの道すがらの人波のある光景とか拓郎が登場する前に見ていた誰もいないステージ、私の席からは正面から10°くらい右にステージ中央が見える席だった、そういうどうでもいいようなことを忘れずにいる。コンサートの帰りに地下鉄ではなく、本数は少ないけどうまく電車が来ればそちらの方が少し早く帰れる中央線の普通電車にひと駅かふた駅乗った。あれは(またちゃちゃっとやると)金山って駅がコンサート会場の最寄り駅で、そこから千種まで国鉄(当時、いまのJR)に乗り、千種から地下鉄で下宿のあった星ヶ丘に帰ったんだと思う。その夜のがらがらの普通電車、165系だったかしら、緑とオレンジの、に短い時間だけどガタゴトと揺られながら車窓を飛び去る町の灯りを見ていた。高架を走ったと思うけれど・・・さすがにこの記憶は相当怪しい。明日に向かって走れ はイントロのスライドギターもいいですね。数日前に拓郎の引退報道がありました。2019年の最後のコンサートツアーに私はつま恋以来約40年ぶりに行った。あれが生で拓郎を聴く最後になるのだろうか。

 20歳、3年の夏休みは、合歓の郷っていう鳥羽の方にあったリゾートのステージで合歓ジャズインという徹夜コンサートに行ってみた。男子4名女子1名の仲間で。これは山下洋輔や日野テルや、なぜかよく覚えているのは森剣二がリコーダーを同時に二本口に咥えて演奏していた場面、ナベサダも出ていたかなあ、ナベサダが吹いている場面があんまり記憶にないけれど、ベースの岡田勉が演奏している場面は覚えていて、たしかあの頃のナベサダ4はベースが岡田勉、ドラムスが守新司(←字が違うかも)、ピアノが益田幹夫だったから、ナベサダ4も出演したんだろう。ステージの合間に皆で真っ暗な坂道を下って海に降りて、夜光虫の光を期待したが、結局見つからなかったと思う。翌朝、コンサートが終わり、近鉄の最寄り駅までタクシーかバスに乗った。道は結構高い場所の料金所はあるが自由通過になっていたハイウェイで、崖の下に広く太平洋が見渡せた。水平線が丸く見えるようだった。そのときに、これだけ広い海なんだから、人の知らない生き物がまだまだわんさかいて、その中には、ネッシーのような恐竜もいるんだろうな、と思った。近鉄の駅で電車を待っているあいだ、誰かが、徹夜明けでも俺は元気だ!と言ってホームで腕立て伏せを始めた。それを見てげらげらと笑った。笑いながら、早くも晩夏の哀しさを思い浮かべていた。

 梅雨明け後にちょうど始まる夏のことは、ほかにもたくさん具体的エピソード記憶として覚えている。会社に入ったあとの夏のことも。夏はその記憶の数が他の季節よりも多いと思う。

 今日のブログは思い出話に終始してしまいちょっとダサい。