一昨年の横浜トリエンナーレで計4回か5回、トヨダヒトシさんの映像日記作品スライドショー上映会に通った。その後、イベント通知メールをいただくようになったが、場所が九州だったり、あるいは開催日にすでに予定があったりで行けなかった。たぶんだけど、スライド上映会も稀にしか行われていないようだ。少し前に久しぶりに通知メールが来た。原美術館で夕方から夜、13日と14日にそれぞれ違う作品を(とくに14日は昨年、神奈川近代美術館鎌倉の閉館記念に上映された、神奈川近美が所有する音楽家吉村弘が遺した2800枚のスライドから、トヨダヒトシが編集した作品「for Nine Postcards」の上映で、ぜひとも見たかった作品だった。また13日の作品「spoonfulriver」は最新作を増補した最新版のようだ。
猛暑が一段落した夜風が気持ちの良い、ゲリラ豪雨や夕立もない、昔からあった日本の夏、の日になった。立てられたスクリーンは風を受けて表面が波打ったり膨らんだりする。すると投影されている写真が、その被写体との相性ももちろんあるが、動画のように見えることがある。満開の桜の花をつけた枝は春風を受けて揺れて見える。音楽家吉岡弘さんは、スクリーンのなかから(風を受けて)表情が笑顔に変わり、視線を動かした。
13日の映像日記は、一昨年見た他の作品で、山陽地方だったかな、自給自足に近い暮らしで寺を維持している若い住職が不慮の事故で亡くなったことが知らされていた。このお寺にトヨダが「たどりついた」経緯として大阪のホームレスの外人さんとの交流があったかな?うろ覚えなのだが。新作は、その住職が住職になる前、コペンハーゲンの人魚像の前で記念写真を撮っていて、その写真やその旅行の写真を見た写真家が故人を追走するようにコペンハーゲンに飛んだそのときの写真から始まる。飛行機から見た蛇行する川には蛇行する意味がある(川自身や流域の自然や人の暮らしを生かしている)と聞いたことがテキスト情報として挟まる。人魚像は観光本で紹介される海を背景にした写真からはわからなかったが、海に面した公園なのかな、そこからすぐのところに「ぽつねん」とあって、私だけの感覚かもしれないが、小さい。それをトヨダは何枚も何枚も時間を変えて撮っている。その繰り返しが「故人への思い」を伝えるのだろう。そこからニューヨークと東京と、日本のアーミッシュの村(はどこにあったか?忘れた)と小田原の養鶏場(元ホームレスのおじさんたちの共同生活)などを経て、最後にまたコペンハーゲンへと戻っていく。途中の上記の場所はいままでの作品でも「おなじみ」の場所だ。ただ以前の作品から連なる最新作は、その後の再訪を示しているのだろうか。作品は1時間半程度の大作だった。住職をはじめ何人かの人が亡くなったり行方不明になっていく。他作品もそういう面があるが、特に、死について考えさせられる。数日前のブログに花火大会を見物していると時間とともに見方が変化していく、だんだん花火が「物思いに耽る」環境をアシストするように変わっていく、というか、見ている方がそういう扱いに変えていく、の方が正しいか・・・そんな感想を書いたが、トヨダさんの作品も最初の方こそ一枚一枚の写真の細部にこだわったりしても、何百枚かを見ているとそのいちいちの並びや中身なんか覚えてなくて、その場でも注意深く注視できるわけでもなくて、いつのまにか花火大会の後半の見物客のように、ぼんやりと「自分にまつわる様々な「目下の」「過去の」「将来の」悩みや希望や不安を考えているのだった。
ところでトヨダヒトシ、つねにカメラをぶらさげて日常の目の前のことをぱっぱとスナップして残しているわけだが、一枚一枚の写真は相当に見せるのが上手いと、とくに今回感じた。
(14日の作品のことは後日に書くかも)
http://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/omXn2FBVWDNu8fbQ9yiz/?art-it=20b0600cd157ad5ac94ebc81ddc20b5d