原美術館

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原美術館品川に「光~呼吸 時をすくう5人」を観に行く。来春には閉館の予定と聞いたことがあるから、もうこれでこの美術館に行くのは最後かもしれないです。いい場所だけど建物の老朽化が原因だっただろうか。ソフィー・カルとかウィリアム・エグルストンとか野口里佳とか、中庭でスライドショーで観たトヨダヒトシとか。記憶に残った展示をいくつもこの美術館で観ました。

佐藤雅晴の東京尾行という短い動画作品がいくつものモニターを使って流れている。写真で言えば、展示作品数10枚とかそんな感じで、10だったかどうかはもう覚えてないけど、それぞれが壁に掛かったモニターで流されているから、動画展示作品10とかそういう感じで、それは東京の当たり前の風景を固定撮影しながらその動画のなかの静止した(静止してないのもあったかな)あるもの、鳥居とか、花とか、だけが写真をベースにその輪郭をなぞるなどしたアニメ部分に置き換えられている。そして、展示内容の「総合展示」の構成要素として自動演奏ピアノがドビッシーの月の光を奏でる。

ちなみにこの曲って、私が大好きな、故・市川準監督の「ざわざわ下北沢」で使われていたという微かな記憶がありますが、あってるかなこの記憶。まぁいいけど。

その場の音が消された動画と言う時点でその場のあまりにありふれた現代の東京の町が急に愛しく見える(気がする)。そしてその一部がアニメのように描かれていることで、これはひとつは作品としての特徴を生んで目を引き付ける、とともに、実写ではなくてアニメにすることで、そこから現代に生きている私たちだからこそ刷り込まれたような、アニメ化によって物語の気配のようなことの漠然とした興味というか期待を呼び起こされるのかもしれない。そして、この音楽が流れることが、それも人ではなく自動演奏で流れることが、これまた同時代的な機械的操作により、操られる心地よさとあきらめのような境地のもとで、この気配×気配として、えらく抽象的な悲しみや愛しさのようなことを、この今属している時代に対して、まるで未来から懐かしむように感じるのだった。佐藤雅晴の作品はほかにも何回か観たが、今日は、とくにいいなあと思いました。

とここまで書いて、作家が作品のことをどう語っているのか、どこかに書いてあるかと思ってウェブ検索をしてみたら、この佐藤雅晴さん、昨年病気で若くして亡くなっていることを知りました。驚きました。ここにこんな勝手なことを書いてしまい、個人は天国から苦笑しているのだろうか。

 

上の写真は街角でスナップしているときに、間違ってコンデジ焦点距離が望遠になってしまっていて、そのままノーファインダーで撮っていた結果、写っていたものです。