横浜トリエンナーレ 赤レンガ一号館展示


 横浜トリエンナーレの赤レンガ倉庫一号館会場に行ってみる。曇天なれど、昨日までの「驟雨・豪雨・霧雨入り乱れ、最高気温も10月並み」と比べれば歩きやすい。それでも日差しはないけれど。

 以下、ネタバレ含む。

 クリスチャン・ヤンコフスキーの、ワルシャワ市内の歴史的人物彫像を重量挙げポーランド代表チーム11名(11だったような・・・9人だったかも)が持ち上げていく(持ち上げられないものもある)動画。最初はなんて馬鹿なことをやっているんだろう?これって伝統的な競技?など疑心暗鬼のように見始めるが、動画の中で実況放送をしているアナウンサー相当の方の彫像の解説や、チームのファン(演出の有無は不明)の四人の女子大生(女子大生だったような・・・違うかな?いずれ、若い女性)の感想を聞いていると、このバカげた行為がそれぞれの彫像になっている人物の歴史を背景にしていて、彼らをまさに尊敬し「持ち上げる」ということからウィットに富んだ、意味深いパフォーマンスに思えてくる。作品名は「重量級の歴史」
 あるいは、モノクロによる、彫像を使った身体訓練の解説写真も「モノクロであること」「モデル役のアスリートがきわめて真面目そうに演じていること」が、これまたウィットに富んでいて面白い。作品名は「アーティスティック・ジムナスティック
 宇治野宗輝の「プライウッド新地」はさまざまな廃品や日用品やパッケージ類などを使った電気仕掛けのオブジェが音楽に合わせて光ったり揺れたり映したりする。客の子供たちは大はしゃぎ。
 トリエンナーレは三年に一度開催される現代美術の展示。大人ははてさてどんな顔で見ればいいのやら?と作品コンセプトや意味やメッセージを理解しようと鹿爪らしい顔をして腕を組むけれど、子供たちは映像や音楽に意味など求めずすぐに見入ったり踊ったりできている。
 さて写真はラグナル・キャルタルソンの64分の動画作品ビジターズの部屋。9面のスクリーンに液晶プロジェクターで、別荘なのかホテルなのか?ある建物にやってきた音楽家や家族と思われる集団が、一つ目のスクリーンにはバスルームで湯に浸かりながらアコースティックギターを奏でる男を、次のスクリーンではドラムセットのある部屋でそれを演奏する男を、また別のスクリーンではアコーディオンを抱いた白い服のきれいな女性を、といった風に固定のカメラがずっと「定点観測」をしている。それらの9面が同期していて、彼らはそれぞれヘッドフォンから流れるほかの部屋のミュージシャンの演奏を聴きながら「合奏」に参加している。それぞれのスクリーンの前に行くと、その音楽家の出している声や楽器の音がリアルに聞こえ、他の音楽家の音は部屋全体の後ろや前から響いてくる。たまたま64分の作品のほぼ最初の場面で、すなわち曲が始まるところから(それ以前にはそれぞれの部屋に音楽家が到着して演奏準備をしていくシーンがあった)見ることが出来たが、それぞれの音楽家の前へ行き、しばらく見て聞いて、またゆっくりと歩いて次のスクリーンへと・・・と言う風にゆっくりと会場内を回遊するように見ていた。曲はゆったりとしたテンポで静かに始まるが、途中何度か盛り上がり、音量が増し、コーラスが響く。また波が引くように静かになり、また一体的に演奏の頂点へと向かう。映像(音楽家の風貌や服装や部屋の中の様子や置かれているオブジェなどなど)と、場所の構成(広さ、暗さ、スクリーンの置き方)と、もちろん曲の旋律や編曲や、そういうトータルなことが鑑賞者の胸に打ってくる。いやー、暗い部屋をいいことに?二度ほど泣いてしまいました。二度目は嗚咽がもれそうになって焦った。具体的ななにかの物語に泣かされるということではなくて泣かされるのだからすごい作品だ。
 YOUTUBEにRagnar Kjartanssonと入れるとこのVisitorsという作品のダイジェストを見ることが出来ます。
 この映像作品を目いっぱい全編鑑賞して、感動してその後ぼんやりとなってしまい、駅に向かう途中の合同庁舎に入っている古めかしい喫茶店でスパゲッティ・ナポリタン450円を食べ、珈琲(ブラックだけれど薄目でほんのり甘い香りがするような逸品)300円を飲み、そのあとはさっさと帰宅。