30年くらい前にM駅の近くの大きな公園のなかの小さな動物園には象がいて、その象舎のすぐ向こうには公園とその外を区切るフェンスだか壁があり、一般住宅の二階の部屋の窓が見えた。その象舎を撮った写真を後日に眺めながら、あの窓のある部屋に住んでいる人は、窓を開けると象が見えるのだな、と気が付いた。ある晴れた日曜日、部屋でのんびり過ごす。象を見ながらコーヒーを飲んだり、読書をしたり、レコードを聞いたり、昼寝をする。あ、昼寝をしたら象は見えませんでした。。。あるいはもっと小さい子供が象を見ながら成長する。学校でいろんあことがあって、楽しかった日にも象を見る。悲しかった日にも象を見る。なんかちょっといいかもしれないが、なんかちょっと危ない気もする。
今日は、北鎌倉の東慶寺に行ってみた。いままで入り口で入場料を払っていたのがなくなっていた。そのまま入場して写真を撮っていたら、しばらくして撮影禁止だと言われる。すいません、気が付きませんでした。
それから大船駅までぶらぶらと歩いてみる。大船駅近くまで来ると湘南モノレールが道の上を走って来るのにちょうど出くわした。
窓を開けてモノレールが見えようが象が見えようが、すぐに慣れてしまって、それが特別なことなんかではないんだろうか。モノレールはやって来て、頭上を通過し、向こうへと去って行った。私だけが立ち止まって写真を撮っていた。
初めての場所に行くと、あそこもここも、そこここに写真を撮りたい場所が見つかる。あるいは、見つかる気がする。家の周りや通勤経路途中や会社の近くでも、写真を撮る自分なりの定点スポットはある。でもそれ以外、定点スポット以外にも、初めての場所を見つめる視点で回りを見つめれば、写真を撮りたい場所はたくさんあるのだろう。見付けられないそこを見付けられれば、写真を撮ることはもっと楽しくなるのかな。
それが出来るってことはもしかしたら写真を撮ることの幅の広さのようなことだけではなく、生きていくことの幅の広さ、というか、豊かな時間の過ごし方ができるということかもしれないですね。それが出来るってことは、もしかしたら、物をいろいろな方向から見ることが出来るってことかも。