冬の畑

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南関東の冬は快晴が続き、明るくて乾燥している。日差しは思いのほか強く、すぐに着てきたジャンパーを脱ぎたくなる。畑の散歩道は4月5月のテレワーク主体だった頃には毎日のように歩いた。出社した日も、日が長い頃だったから帰宅してから歩くこともできた。それが日々の当たり前になっていた春だったけれど、6月頃に新型コロナウイルスの感染者数が減って、いままでと同じような日常に戻ってからは、暑さもあって、畑の散歩道を歩くこともなくなっていた。いまは第三波の勢いが留まるところを知らず、東京の一日の陽性者数はほどなく千人を超えるだろうな。陽性者数が状況を代表する数値として適当なのかどうか、意見はいろいろあるようだけれど、いずれひどい状況になっていることは変わらない。いちばん怖いのは、人々が春のように自粛しようという意識がないってことだろう。何人かの著名な方がこの病気で亡くなったこと、それによって皆が強く自粛を心掛けたことなど、喉元を過ぎてしまったようだ。当面の災禍に対する真面目な対応と、それなのに喉元過ぎると忘れてしまうあっけらかんとしたところは、もしかしたら繰り返されてきたことかもしれない。本当は喉元過ぎてなんかいないのに。

とかなんとかぼんやりと考えながら、考えている脳のどこか一部ではそれとは違って、写真を撮るべき光景をチェックするため作動している部分があって、チェック結果がある閾値を超えるような感覚で、撮ろうと思い立つと、一応絞り値をどうするかとかを生意気にも考えて、写真を撮るのだった。

昨日の土曜と今日の日曜で外に出たのはこの散歩だけ。金曜の夜からずいぶんテレビ番組を見てしまったな。というか印象に残るテレビ番組が多かったってことか。新日本風土記の東京歌合戦、六角精児の飲み鉄本線は真岡線。今朝は80年代前半に作られたスポーツドキュメント江夏の21球とそのあとには広島カープ黎明期の状況をイッセー尾形が主演して再現したドラマ。それから天皇杯サッカーの準決勝を二試合とも。そうだった、俳優の高橋一生と建築家の中村拓志が対談する番組も面白かった。中村拓志の言っていたことをスマホにメモしたのだった。

「振る舞いは共振する。振る舞いを一か所に集めて共振反復すればサッカーのゴールが決まったときに思わず立ち上がってしまう一体感のようなものが生まれるのではないかと思っている」

うーんと、そのときに書いたこのメモだけだと、これに至る背景も含めてなにか共感したのだったが、そこを忘れているとイマイチその共感したところがわからないな。じゃあメモした意味がないか・・・

まぁでも、振りと舞いが共振していくようなことが起きる場を建築家として意識したいみたいなことだったかしら。(全然違っていたらすいません)

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