晩夏とは言え、それを感じるのは朝や夕方であって、昼間の陽の光の強さはそれを隠すかのように獰猛なままだ。陽の光で町が真白に光る。町は漂白されて乾いて軽くなっているのか。誰かものすごいスラッガーが打ったホームランの打球が勢いよく伸びて伸びて・・・だけど結局その打球は伸び続けて宇宙に行けるわけではなく、頂点を越えたら落ちていく。晩夏を感じるまではその打球が宇宙まで行けるような気分だけれど、いや気分というより盛夏にいて晩夏を忘れている(故意に?忘れている)、ある日、打球が頂点を越えていることに気が付く、というより必ずそうなることを忘れていたことを思い出す。あぁ、夏休みの終わりの数日間の焦燥は晩夏を感じて冷静になって・・・それで宿題が残っているという現実にふと気づく(笑)小学校の頃、そうなると愕然として夜に寝付けない。だいたい8月28日くらいのこと。それでも焦りのあとに残り三日でどう残りの宿題をこなすかを計画して実行してなんとか間に合わせていたと思う。宿題のドリルみたいなのは7月中に終えていたので残っていたのは自由研究的なのとか読書感想文とかポスターを描くとか、そういうのだったのだろう。自由研究ってなにをテーマにしたのかぜんぜん覚えていない。唯一覚えているのはある年に甲子園の夏の高校野球に夢中になって、その一回戦からの試合結果を毎日毎日新聞から切り取ったりしながら結果をまとめて提出したことがあったのだが、まぁ確かに今思うとそれって子供の夏休みの自由研究って感じではないですが・・・そのときはこのデータをまとめること、そこから今年は西日本勢が強かったとか少しは結果考察をしたのだろうか・・・そのレポートがまったく評価されなかった、そっちの方をよく覚えている。
もう六十回以上も夏を過ごしている。ひとつひとつの真夏に感じたことやエピソードがあるはずなのに、それを何歳の夏にこんなことがあった、と具体的に覚えている数ってほとんどないですね。瞬間瞬間の記憶はあるけど、少年の頃に初めて母が手ぬぐいで自作してくれた捕虫網(もどき)でニイニイゼミを捕まえることができたときの喜びとか、小学生の頃に水泳が苦手でクラスでいちばん気の合わない奴と「泳げない組」にされて顔付けとかバタ足とかを一緒にやらなくてはいけないのが嫌だったこと・・・でもこんな風に子供の頃のことが多くて、例えば十代後半とかの一番青い春の年の頃ってなんか、暑い暑い、やることない、つまんない、ってだらだらレコード聴いたり映画見たりをたまにしながら無駄に時間を過ごしていた、というよりそういうのに無駄とか有益とかは実際にはなくて、ただそんな風に過ごしていただけって感じ。だからそういう漠然とした気分の記憶がまず出てきますね。
ここ十年くらいについてはこのブログを自分で読みなおすといろいろと思い出すこともあるのだろうがそういうことはしないものですね。