月がついてくる

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東海道線の下り電車のグリーン車二階、進行方向に向かって左側の窓側席に座って車窓から写真を撮ること。グリーン代金、休日だと距離によって800円か580円だか560円だか、撮影場所代と思えばよい、というか納得できるというのか腑に落ちる・・・ちょっと違うか・・・(笑)だいぶ暗くなるのが早くなったけど秋分の日の頃だから、一番日が長かった6月下旬と一番暗くなるのが早い12月のまだちょうど真ん中あたりなんだな。レイ・ブラッドベリの短編集に「十月は黄昏の国」というのがありますが、原題はもっと単純に「ザ・オクトーバー・カントリー」なのでこういうのは翻訳した方の手腕というか名訳だと思いますね。日本人的な感性で原題や中身をうまく伝えることを踏み込み過ぎずに実現しているんじゃないか。最近でいえば、映画のタイトルの日本語置き換えにおいて、ちょうど良いのや踏み込み過ぎや、ときに全然ちゃうやん、みたいなこともあるのかしら、具体的な例示は出来ないけど。日の沈む時間でも上る時間でもその一日あたりの時間変化が一番大きい、すなわち横軸に日をとって、縦軸に日没または日昇時刻をとって、そのグラフの傾きイコール微分値がいちばん大きくなっているのが春分秋分の頃だろうから、その差が感じやすく、とくに冬に向かう今頃から十月にかけてを「黄昏の国」というちょっと哀しみを含んだ言葉のように感じるのは、当然なんだろう。そしてそういう日が暮れるのが早くなったなあ・・・なんて感じているときにふとそこにこれはたぶん十三夜くらい?の月が昇ったばかりで大きく見えるとちょっとおっ!と感じる。なんでおっ!と感じるのか?いずれにせよ中秋の名月がいちばん月を愛でる日として残っているというか認識されているわけで秋と月は相性が良いのだろう。でも車窓から見る月はビルの隙間に見え隠れしてなかなか写真に撮れない。標準~望遠にしてもぶれてしまうだろうから、こうしてワイドで橋梁を走っているときに撮ったコマだけにちゃんと写っていました。上の写真は最近横浜から海老名の方に行く相模鉄道が横浜から先、どこまで?湘南新宿ラインの線路に乗り入れて、渋谷とか池袋通って、その先のどこかまで、最近でもないかなここ一年か二年、そういう乗り入れが始まって、わたしは使ったことがないけれど、その車両と思います。並走している紺色の電車。月は東に登り、すなわちこの写真の反対側に日が沈んだばかりで、車両は西の空の残照を映している。ブログの解像度ではわからないけど乗客も(もちろん顔認識できるほどではないが)座っているのが写っている。きっと撮り鉄的にはこんな車両の先頭も入ってないような写真は碌なもんじゃないんだろうけれど、自分としてはいいんじゃないか?これ、と思い載せました。下の写真はくるりが「赤い電車」で歌っている京急線の電車が多摩川鉄橋を渡っているところ。ちょうど赤い電車が来た偶然。人の目の感覚だと月だけはこの三倍とか五倍の大きさの印象で見ているがこんなものです。この三棟のマンションは私のなかではちょっと多摩川のランドマークのようになっている。以前はここにコロンビアの工場があって音符のネオンサインがあった。この写真にその工場とネオンサインがあるとそっちの方が十月(まだ九月だけどね)は黄昏の国って感じかもしれない。でもデジカメがまだ現れていないネオンサインがあった頃には車中からこんな写真をちゃちゃっと撮ることはフイルムのISO感度やカメラの機能からしても難しいことだったろう。月はいつまでも付いてくる。この先、東海道線が南東向きから西向きに変わって行ってとうとう車窓から見るのは困難になった。

下の写真、河川敷にキャッチボールをしている親子とか電車に手を振る子供たちとかがいるともっとキャッチーでフォトジェニックな写真になってしまう。そうでなくて良かったな。だって黄昏の国じゃなくなるから、なんてのはシニカルな感想か。

黄昏の国・・・人恋しくなる季節ですからコロナが終息して宣言が解除されることを期待したいですねえ。

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