いつもはおよそ1.5ケ月おきに茅ケ崎駅近くの安価な理髪店で髪を切る。ところが、最後に散髪したのが12/30で、以来ふた月と5日経ってしまった。コロナ禍で行きたくないなぁ・・・と思って散髪に行かないでいたら、ずいぶん髪が伸びてしまった。土曜日、とても暖かい日。午後から風強し。スマートフォンに表示されるカレンダーの下に小さな字で「啓蟄」と書いてあった。ニュースでは春一番が吹いたと言っていた。今日も梅の花の写真などを撮ったけれど、夜になり、またもや古いフォルダーを眺めていて見つけた都内の古いアパート、都営の青山北町にあったアパートの写真を使いました。2015年2月に撮影。たしかワタリウム美術館になにかの展示を見に行き・・・いま調べてみたら、石川直樹+奈良美智展だった・・・その帰りにこの古いアパートの前を通ったのだろう、五枚か六枚だけ写真を撮ってあった。一昨年くらいから、高層マンションへの建て替えが進んでいる(あるいは完成した?)らしい。昭和30~40年年代に建てられたアパート(というか団地)は建物と建物のあいだに駐車場や、芝生と植樹があるのが普通だけれど、このアパートは、それが自然発生的だったのかそういう利用が許されていたのかわからないが、住民が区切って庭として自由に使っている(ように通りすがりの私には見えた)ようで、こんな風に低木が植わっていたり、花壇になっている場所もあった。なんだかこの階段の構造も、12号棟を示す数字の斜体字も、かっこいい。
私のいちばん古い記憶がどれなのかはっきりわからないけれど、1960年か1961年頃に、住んでいた長屋のとなりのWさんの次男君(わたしよりひとつかふたつ年上だった)と母と(まだ30歳前だった母)私の三人で、屋根にテニスボールを投げては転がり落ちて来るそれを捕球する遊びではしゃぎまわったこととか、幼稚園の入園の前の試験なのかな?母と一緒に先生と面接をしたこととか、だろうか。前者は写真があるので、その写真に写っている光景がそのまま記憶に置き変わってしまっている感じがするが、後者には写真がなくて、傾いた夕陽が斜めに差している木造の長い廊下の先にドアがあって・・・それが面接をした部屋なのだろうか、そんな光景の記憶が本当にぼんやりとソフトフォーカスの写真のように残っている。
北青山のこのアパートはちょうどその頃に建てられた建物で、いまはもう誰も住んでおらず取り壊されたか、取り壊されるのを待っているところだろう。2015年頃、ワタリウム美術館から外苑の方へ向かった右側とか、ワタリウム美術館から外苑前駅に戻って来る途中、この北青山アパートまで来る手前右側にも、たぶん同じ頃に建てられたアパートがあったのだが、いまはどうなのだろう。東京オリンピック2020(実際は2021)に合わせて、2015年にはまだ残っていた都営アパートなんかはみな建て替えられたかもしれない。
そして、私の上記の記憶の頃、1960年頃ってジャズで言えば、モード奏法が現れた頃だろうか?と予想を付けて調べてみたら、案の定、マイルスの「カインド・オブ・ブルー」が1959年だった。そのアルバムを私がよく聞いたのは、たぶん1970年代後半から80年代前半、私が学生から社会人になった頃で、すなわち私がジャズを聴き始めて数年後だったろう。渋谷にタワレコが進出してきて、なんだか輸入盤のマイルスのレコードは盤の厚みが普通の(当時の日本の新譜のレコード)より厚くて、それが特価ですごく安価だったから、何枚か買ったなかの一枚だった。「マイルス・スマイルズ」「いつか王子様が」と一緒に買ったのではなかったか。その頃、マイルスは新譜を出していない頃だった。私は会社の寮に住んでいた。ジャズをよく聴いている同期がもうひとりふたりいて、一人は「ビッチェズ・ブリュー」を愛聴していた。
こんどは2000年頃。蒲田の古いビルの四階が五階に今もあるのかな?狭く古いジャズ喫茶があって、おそるおそる行ってみた。夕方の5時頃で、開店して最初の客だった。カウンターのいちばん手前の席に座り珈琲を頼んだ。たぶん常連客ばかりが来るのだろう、マスターもなにも言わず、私もなにも言えず、妙な緊張があった。そのときにその日の一枚目で流れたのが「カインド・オブ・ブルー」だった。古いレコード盤から盛大にスクラッチ・ノイズが聴こえた。A面の三曲を聴いてから店を出た。
先日、ポッドキャスト番組を聴いていたら、自分の年齢を3で割って出てきた数字が、人生を24時間にたとえたときの今の時刻だと言っていた。ただそう言っていたというだけです。