赤い軍手

 このブログの1月20日の記事に自室のカメラ保管用防湿庫の奥にずっと、何十年も置いてあった古いキヤノンA1に電池を入れたら動いたので、フイルムを入れて撮ってみたが、光線漏れがひどく、その後欠損していたビスを締めたり、モルトプレンを張り替えたりした。そして撮ったのが、上の写真もそのうちの一枚の36枚の写真で、見事に光線漏れが無くなっていたので、よっしゃぁ!という気分である。今日、現像が上がってきた。

 そして上の写真を撮ったときはまだこのカメラ特有のシャッター鳴きという症状が多発していたのだけれど、その後YOUTUBEでこのカメラのシャッター鳴きをオイルの注油で直す方法を見て、それを真似をしたら本当に直った。露出を測ると・・・こんなこともスマホの露出計アプリがあるから簡単なのだけど・・・室内では2段弱露出オーバーになる。上の写真も露出オーバーのネガから、DPE店が自動補正をかけたデータという感じもする。次に撮るときには、ISO400フイルムを入れて、設定をISO800くらいにして撮ってみようかな。

 不思議だな、と思うのは、上の写真もほかにこのとき撮った写真も、なんとなく「昭和の感じ」がすることだ。横浜駅近くのこの雑然とした界隈がそういう風情を残しているのだろうけれど、それにしても同じ場所を最新のミラーレスデジ一で撮った、あるがままに忠実に写った高画質な写真と比べると、このフイルム特有の、言ってしまえば低画質の写真は、ずっと昭和であり、演歌やブルースやジャズが流れて、ひりひりするような物語が潜んでいる・・・感じの写真になる。最新のデジカメよりフイルムの方が現実の色の再現に忠実ではないだろうから、その(今達成しているレベルからは)不十分な色再現が、そういう気分をもたらすのであれば、忠実性や写実性は劣っても、昭和性(なんて単語はないけど(笑))物語性(これもないか)ではフイルムがデジタルに勝っているんじゃないか。

 写真も上に書いたことも、マイルスの「SO WHAT?」が似合いそうだ。だからなに?

 あるいは片岡義男の「人生は野菜スープ」などの小説が思い出される。

 もちろん、画面左の交通標識の赤、画面右のゲームセンターのネオンの赤、というなかに荷物を運んでいく人が向こうへ歩いて行き、その軍手が赤いから撮ったわけで、軍手が赤くなかったら撮ってなかっただろう。