カラスウリハウス

 日曜日のこと。恵比寿の東京都写真美術館星野道夫写真展「悠久の時を旅する」を観に行く。日曜が最終日で入場規制の列が、会場の地階から階段の一階まで伸びていて入場まで30分ほど並んだ。1989年頃だろうか、写真発明150年の年にNHKテレビで放送された「近未来写真術」。篠山紀信が何人かの写真家を取り上げ、全5~6回だったろうか、毎回対談した番組で、その一人に星野さんも取り上げられていた。星野さんがそこで何を話していたのかは、もはや何も覚えていないけれど、とつとつと考えを説明する語り口はずっと印象に残っていたから、96年に訃報のニュースを聞いたときは驚いたものだ。今日観た展示では添えられた写真家の残した文とともに、その「受け入れて、考える」姿勢がひしひしと伝わる。一枚の写真を残す背景に膨大な思索と知識がある。北アメリカで、バッファローが激減し原住民が追いやられ、自分が「(生きる時代が)遅かった」と感じていたが、アラスカでカリブーの大群を見たときに「ぎりぎり間に合った」と思うくだり、亡くなってから早くも25年以上が経ち、いま彼がいたら、この温暖化に苦しむ北極熊の窮状を見たら、どういう言葉を発して警鐘してくれるのだろうか。たとえばジョン・レノン星野道夫が生きていたら、なにか世界は変わっていたのか?

 写真展を見たあとにはカメラをぶら下げて歩きたくなる。いつもなら恵比寿駅へと下り中目黒や渋谷へ、あるいは目黒駅方面へと。今日は、住宅地のなかの路地を適当に辿りながら、祐天寺まで歩いてみる。清掃工場へと丘を下り、目黒川を渡り、また坂を上り、尾根に当たる住宅街の細い道を進み、やがて祐天寺(駅ではなく寺院の祐天寺)に。その尾根のような道沿いには古い住宅、古いアパート、新しい住宅、新しい集合住宅が混在としている。時間を掛けながら、古い町が新しい町へと住宅が建て替わることで緩やかに向かっている。その途上の町(そしてこの「途上」は何度も何度も繰り返すのだろう)に残っていた古いアパートには、この写真のように建物に絡みついた植物の赤い実がたくさん生っていた。どうやらカラスウリの仲間らしい。これは、そうすると、さしずめ「カラスウリハウス」だな。

 ということは季節が変われば緑に覆われ、あの白く羽衣のような、細い糸を引いているような、不思議な花がたくさん咲くのだろうか。

 初めての町を歩きながら、その日のそこを見て撮って、そうして別の季節のことを考える。