「車」が写っていることを決まりとして、可能な限り古い写真からなるべく全部、自分の撮って来た写真を見直しては写真を選び始めています。5月に車の写ったスナップ写真で展示をするかもしれません。詳しく決まったらここでお知らせします。
最後に写真を展示したのは写真同人ニセアカシアが写真集ニセアカシア8を出版したときに合わせて西荻窪の書店の壁を借りたとき、それが2019年だったので(たぶん)、実現すれば3年ぶりになりますかね。それでこの写真もこんなの撮ったことなにも覚えていないのに、見直したらあったので、いったいいつどこで撮ったんだろう?と不思議なのだが、なんだかかっこいいので候補にしました。
車って、70年代80年代90年代とずっと憧れというのか、自分の車を持っていたい、それを大事にして自分の相棒として大事に乗りたい、というような感情移入をして所有している「あいすべき道具」であって、いまのように必要なときだけシェアすればいいじゃん、というような考えはまだまだ少なかっただろう。その証拠に?ユーミンの歌の歌詞をふと思いかえすと、「よそゆき顔で」ではドアのへこんだセリカが出てくるし、「Destiny」ではほこりまみれの車のボンネットに指でTRUE LOVEと書くし、「中央フリーウェイ」をドライブして「まるで滑走路」と思いながら気分も飛び上がろうとしたり、「埠頭を渡る風」では緩いカーヴであなたによりかかったり。コルベットは曲名にもなっている。車は恋愛の現場でも必需品で、こういう歌詞に出てくる車がレンタカーってわけではないだろう。
村上春樹の初期の小説でも車種を明確に書かれた車がよく出てきて、それは車の名前を読むことで、共通理解できるヒエラルキーの示唆や趣味の良い悪いが伝わったからだろう。
カーズ、たまに聴きます。