どういう気分でなにを考えていたかは忘れた、故にその日はいい日だった

 2018年の8月に撮った写真を見返してみた。街角スナップに写っているひとたちは誰もマスクを掛けていなかった。その年の8/18に私は夕方から池袋へ行き、写真同人ニセアカシアの同人写真集の第八号を作るための打ち合わせに参加した。駅から少し歩いたビルの二階にある古い喫茶店に集まった。第八号は翌2019年の1月だったか2月だったかに印刷が上がった。池袋の喫茶店に行った夏から4年が経って、ニセアカシア九号はゆっくりゆっくり発刊に向けたあれこれが進んできている(大変なのは写真のセレクトから並び、ブックデザインや印刷管理までを一手に引き受けているMさんであって、私は写真と文章を提出済みであとは気楽なものであり申し訳ない)。たまたま見直したその日の写真から二枚を選んで上に載せてみた。その日にブログを書いていたら忘れてしまっているだけで同じ写真を使っているかもしれない。確認はしていない。上の上の写真は一体どこかもわからない。池袋の西武デパートの職員通用口なのか、いや、電車をまたいで向こう側へ行く歩行者用の橋なのか。喫茶店ではサンドイッチくらいは食べたと思う。池袋から湘南新宿ラインに乗って茅ケ崎に戻ったことが写真からわかる。上の下の写真は代々木あたりの踏切だ。そういう行動履歴は写真を辿るとわかるが、そのときにどういう気持ちでいて何を考えていたのかは写真で行動履歴を追ってもわからなかった。心が激しく動揺していたり、感激していたりすれば、覚えているかもしれないが、平常な感じで取り留めのないことを考えていただけなんだろう。

 だけど写真から行動履歴を追って、そういう日があったことを思い出して、でもなにを考えどういう気分でいたかまではわからない、という今日のこの状態から思いを馳せる2018年の8月18日という日が、過去になってしまいもはや細かいことはなにも思い出せない一日となっていること、その状態は悪くないのかもしれない。二度と回らないかもしれないジャズ喫茶の棚の10000枚の中の一枚のLPレコードのようだ。なにかの偶然でその一枚を引っ張り出して、ジャケット写真を見たり曲名を見たり演奏者を見たりする、ときには針を落として演奏を聴いてみるだろう。名盤ではないことを祈ろう。ありふれた「悪くない」演奏だ。トミー・フラナガンとかレッド・ガーランドがサポートに回っているようなピアノ演奏。だけどその演奏を19歳のときに聴いて、いいなぁと心底思ったその気持ちは覚えていない。いいなぁと思ったことは覚えていても。そんな感じの2018年8月18日だ。すなわち平穏で幸せでありふれた夏の日だった。

 繰り返すが、誰もマスクなんか掛けていない。