ブックカバーになった画像の経緯報告

 8/18、午前雨、午後は晴れ。以下の①~⑥を行った日。

① 数日前の2022年8月14日、ときどき小雨が降る曇天の葉山町まで国道134号線を使って自家用車で行き、森戸神社辺りを散策した。比較的涼しい午前だった。昼頃には天気は回復した。気温が急上昇し湿度も高く、すぐに真夏の一日に戻った。帰りの道路は少し渋滞していて、とくに鎌倉の材木座から江の島を抜けるまで、車はのろのろと少し進んではまた止まる。その止まっているときにコンパクトデジタルカメラで写真を撮った。4倍ズームの望遠側はフルサイズ換算100mm相当の中望遠の画角になったが、その焦点距離では上の写真のように海を引き付けて撮ることは出来ない。車道と歩道の境界のガードレールや歩道とさらに砂浜を分けるフェンス、あるいは手前にある海の家の大きな屋根、なども写ってしまう。その隙間から波や海水浴客が見える。自分の目でその風景を見ているときはどこか注目しているから、その波と海水浴客の遊ぶ光景・・・ここではそこにある主観のない風景から自分が注目している主観のあるところを光景とする(これはなにか調べたわけでもないのでここだけの勝手な定義です)・・・を魅力的だなと思い、一人、運転席から目一杯の100mmにした焦点距離で撮った。帰宅して写真を見ると写真には光景ではなく風景が写っていて、それを光景にするためには写っている写真からトリミングをする必要がある。どこをどうトリミングで切り出すかは、後付け(撮ったときではないという意味)の風景の光景化作業だ。だけど最初の100mmは光景には足りないけど光景を含む風景を、実際の風景全体から選んで撮っているから純粋にはあるがままの風景ではなく、光景を含む意図的な風景だ。トリミングした上の画像は、トリミング範囲が狭くて、すでにいまの一般的な数字から言うと相当低画質だ。それを眺めているうちに、色を抜いてモノクロ化することにした。どうしてそうしたんだ?という明確な理由はない。

 

② そこでA4の普通紙にそのモノクロ化した画像データをフチなし全面印刷でプリントをしてみた。五年かもっと前、撮った写真を印刷し、その印刷した写真の裏に自分の指を開いた掌を置いて、掌が透けて見えるように逆光にしてその印刷した写真を再度撮ったことがあった。するとそれは思い出となった写真を懐かしく見ていることがまた思い出となるような、マトリョーシカのような、鏡の配置によって無限に同じ像が連なって見えるような、そういう写真というものが持つ過去への思いの連鎖のようなことが出来る気がした。最初はそんな理屈を考えず掌を透かせて撮っただけだったけど、あとから屁理屈をこねまわすとそういうことだ。そんなことを思い出して、普通紙に印刷してみたが、どうも掌を透かせるという以前の行為を再度やろうという気にならない。そこで、印刷した写真のなかの更に一部分を斜めから撮ってみる。斜めから撮ると、被写界深度の関係で注目しているところがどこかがわかる。フリスビーだろうか、なにかを投げている二人が写っていたので、そこを接写してみた。

 

③ 普通紙に印刷した画像をなにかの背景に使ったらどうなるだろうか?紙の上に何かを置いて撮ってみようかな、と思いついた。一年に一個か二個か、海を散歩しては拾ってきた小石、それでも溜まり過ぎて一度か二度はその小石を捨てたこともある。部屋の中の目につくところ、本棚に収まっている本の前などに、そんな小石がいくつか置いてあったから、画像を印刷した紙の上に並べてみた。そして写真を撮ってみたが、だからなんなの?ぜんぜん面白くないじゃん、と言う感じ。しいて言うと、写真の小石、一番右がクレーターのような穴がある。その隣はメロンパンのように優しく真ん丸で、右から三つ目は青黒い色に浮き出た白がいろんな模様に見える。空の雲をなにかの形に見立てるなら、石の中の模様でもそれが出来る。私にはフクロウがいるように見える。二つの真ん丸の目が見える。写真を撮って、すぐに小石をどけた。

 

④ A4サイズの紙は文庫本を包むにはちょうど良い。そしてこれなら印刷したA4普通紙の使い道として、ありふれているけれど、悪くないんじゃないか。ここ数年は夏になると無地のTシャツが流行っている感じがする一方で、フォトTシャツもよく見かける。ユニクロも昨年は森山大道の写真のTシャツを販売していた。しかもシーズンが少し進むと早々に790円とかときには500円になる場合もあるので、森山大道の写真のTシャツをお幾らで買ったのかはいちいち覚えていないが、何枚かは買ってしまった。ところでフォトTシャツにするといい「Tシャツ向けの写真」というのがあるだろうか?例えば写真展や写真集に使うのにこれだけは代表作として外せないというキャッチーな一枚があったとすると、そのキャッチーな写真と、Tシャツにするとなかなか良くなるよ、という服の良さに貢献できる写真というのは違うんだろうな、と思う。それと同様に、仮に「ブックカバー向きの写真」というのがあるとすると、それも写真集や写真展の代表作となる写真とは違うんだろう。もちろん写真集や写真展だってその本にする展示をするということに意味やコンセプトや伝えたいことがあるから、そこをひとくくりに「キャッチーな写真」などとまとめているところからしてこの文章は成り立っていないとも言える。簡単に言えば「ブックカバーに向いた」写真というのがたぶんありそうだということ。これがそういう写真なのかどうかは判らないけど。

 

⑤ いちばん最近買ってきた文庫本、創元推理文庫のフランシス・ハーディング著「嘘の木」にそのブックカバーを巻いてみた。②で印刷した画像の中からさらに接写をするときに選んだ何かを投げて遊ぶ二人のところは男性の顔をのぞき、他は全部、内側に折り込まれてしまいました。積読が良くないのは、あ、これ読んでみたい!と思って買った、その勢いで順番を飛ばして読み始めるということが私の性格的にあまりできないので、読みたくて買っても読み始めるまでに時間がかかるということ。そのうちに「なんでこんな本を買ったんだろう???」と思うようになっていると読まずに終わることすらある。若干順序を入れ替えたとしてもあと四冊か五冊はあとになるかもしれない。いや、でもこれは早く読みたいな。

 

⑥ ご参考。これが元の写真です。