1947年、昭和22年、第二回国民体育大会が石川県で開催されたときの、新聞切り抜きとこの写真と、ほかに競泳競技中の50mプールを写した写真など計4枚が、二十代だった父のアルバム帖に貼ってありました。新聞の切り抜きには石川国体に合わせて「大会主旨高揚のために事務局が募集した」大会標語の入選作が掲載されていて、そこには、応募数が約一万句あったこと、一等賞はなく、二等二句と佳作八句が選ばれたことが書かれたあと、その十句が載っている。二等のひとつめは小松市の柴田さんの作品で「体育だ、熱だ、力だ、再建だ」、と、ふたつめは大阪市天王寺区の高橋さんの作品「スポーツで明るく興せ新日本」とある。そして、佳作の一作目にわたしの父の名前が載っていて、父の作品は「がん張るぞ、日本の飛躍を体育で」とあった。再建、興せ、飛躍、など、いまが敗戦の痛手を負った状態であるところから、この国体をもって、いまの言い方で「右肩上がり」を目指す意気込みが感じられる。しかし、一万句から選ばれているにしてはなんだか当たり前に思えてしまいました、すいません。
この父のアルバムには父が大学で学んでいるころのいろいろな教授が教壇に立って授業をしているところのスナップ写真がたくさん貼ってある。これも謎ですね。カメラがなんだったのかもわかりません。父がオリンパス35Sを買ったのは1960年くらいのことだろうから、その前はドイツの二流メーカーの蛇腹式のセミ版カメラだったのか。そして、授業風景は、教務課にでも申し出て許可を得ていたんだろうか。あるいは当時はこういうスナップ写真も売られていた?
そしてこの1947年の国体の「高板飛び込み」のこの写真はどうやって撮っているのか?三脚に載せて、画角が動かないようにして撮った3枚のネガを使って、プリントするときにネガを変えながら、多重露光をしたんじゃないか?と最初は想像しました。空が白いからそこのネガは黒くて光をあまり通さない、なので一枚全画面にネガを通した光を印画紙に照射し、あと、二枚は覆い焼で人の写っている場所だけを重ね焼きすれば、なんとなく出来そうな気はする。だけどよくよく考えたら、このような連写(この間1~2秒くらい?)が出来たとは思えない。巻き上げてシャッターチャージをして・・・とても間に合わない。
そこで次に考えたのは、バルブにしてシャッターを開きっぱなしにしながら、レンズの前を掌や黒い布などで覆って、素早くその手を、または布を、どけたり塞いだりした・・・そやって多重像を一枚のネガに入れ込んだ・・・だけど、ネガにおいては、空が感光してしまっていると、その後はそこに人の像を写すことはできないからこれも違いますね。
だとすると???実は一回の跳躍ではなかったのかな?三回の跳躍を撮ったものを印画紙に焼き付けるときに上記の重ね焼きで一枚のプリントにしたのか?写真の上の二枚の競技者が回転している位置から推定して下のプールへと落下していく人の位置関係がちょっとおかしい気がしないでもないです。さらに良く見ると上の二つの像も、同じ動きの流れではなく一番左上が正面からただ飛び上がって回転せずに、両手を開き足を合わせて伸ばして飛び込んでいくような姿勢で、真ん中の上が最初に一回転しているようにも見えるが・・・
三回の演技をバルブでシャッターを開きっぱなしにして、掌か黒い布で露出をしたのか?しかしそのテクニックではこの右下の人のような高速シャッターで静止した像にはならない。1947年のたった一枚の写真なのに、どう撮ったのかがわからない・・・。
この第二回国民体育大会である石川国体ではテーマソングとして「若い力」が作られたそうです。メロディ、なんとなく知っていました。子供の頃にときどき聞く機会があったんだろう。それでYOUTUBEでちゃんと聞いてみた。というのも、頭のなかでうろ覚えのその古い記憶の曲を再生してみると(あるいは小さな声で口ずさんでいると)さびのあたりからだんだんメロディがわからなくなり・・・そしていつのまにか曲が「帰って来たウルトラマン」になってしまうのです(笑)
すなわち♪若い力と感激に 燃えよ若人胸を張れ♪までは問題ないのですが、その次の♪歓喜溢れるユニホーム♪のところがうまくつながらず、そこから♪怪獣退治に使命をかけて 燃える街にあとわずか とどろく叫びを耳にして 帰って来たぞ帰って来たぞ ウルトラマン♪と曲が移動してしまうのです。みなさんもそのようにつなげて歌ってみてください、実にスムーズに曲が乗り移れる。