何の煙が目にしみる?

 1980年頃に読売ホールでジャズサックスプレイヤーのリッチー・コールのコンサートに一人で行き、帰りに新橋駅のホームを吹き抜ける風がとても冷たくて、少しは身体が温まるかもしれないと、ほとんど吸わないのにそのときはバッグに入っていた煙草、銘柄は忘れたけれどありきたりのセブン・スターだったんじゃないかな?煙草を一本吸ったと思う。たぶん、それが私が煙草を吸った最後の一本で、以降、四十五年近く、煙草を吸っていない。あの頃は分煙という考え方もなく、会社の居室では、三人に二人くらいは煙草を吸う習慣があり、だから三つに二つのオフィス机から煙草の煙がゆらゆらと立ち上っていたし、会議室はもうもうと煙草の煙が充満することもあった。そんななかでもこのリッチー·コールのコンサートの夜以降、わたしは煙草は止めて、もう吸わなかったけれど、そういう社会生活だったから、日々着ているYシャツや会社の制服はすべからく他の方の吸った煙草の匂いが付いていたはずだけれど、覚えていない、すなわち特に気にならなかったのは、まさに「そういう社会」に慣れていたからなんだろう。

 いまも少数派でも煙草を吸う人はいらっしゃる。飲み会の途中や仕事の途中に彼ら彼女らはときどき抜け出してどこかで煙草を吸ってくるようだ。

 ジャズのスタンダード曲に「煙が目にしみる」という曲がある。いま調べてみたら、恋は盲目で、恋に落ちていて心が燃えているとその炎の煙で周りがちゃんと見えなくなっていることを歌っているらしい。そうだったのか!私は二重に勘違いしていました。最初、この曲名を知ったときは歌詞など確かめずに、汽船の煙のことを歌っていてそれは別れの場面なんだろうと思い込んだ。そののち、それは間違いであって、煙草を吸う恋人のことを歌っているんだと修正した。この修正がなにの情報からの修正だったのか覚えていないが、それも間違っていたようです。