海を見渡す

 昼過ぎまで大雨が降っていた日曜日。深夜に目覚めてしまい、どうにも眠れず、読みかけの本を読み進めたが、物語はずっと緊迫した色合いではらはらさせられ、ちょっと期待している優しい感じとは程遠い。それでも緊迫してるからページを繰るスピードはそれなりに早くなる。緊張でどきどきしているような読書だった。それでも二時間ほどしたら眠りに落ちる。そんなわけでいつもは六時前に目が覚めるのが、今朝目が覚めたのは8時前だった。外は激しい雨。午前は住んでいるマンションの理事会打ち合わせだったが、だんだん身体が冷えてしまう。雨が自転車置き場の屋根に降る音がうるさくて、打ち合わせの声があまり聞こえない。ふわふわした会議の時間が過ぎる。

 午後になり、雨が上がる。それでも、さーっと晴れ渡るわけではない。それでも雨が上がったから、家にずっといても鬱屈してしまいそうで、外に出る。以前はかなりの頻度で登っていた平塚市の西側にある丘陵のてっぺんにある通称「湘南平」まで自家用車で上がってみた。雲の動きが早く、広く見渡せる相模湾は雲の影を映して、場所により様々な明るさや色合いを見せていた。

 高いところから広大な海原を見渡していると飽きない。最初は大島の島影を見て意外に大きいなとか、今日は利島が見えるな、あるいは、あれ?あのぼんやり白く遠くに光っているのは東京スカイツリーじゃないか、など、見えるものの名前を確認したり、テキストで説明できることに注目している。だけどそのうちに、もっとぼんやりとしている。きっと十年か二十年か若い時には、なんか生々しい計画や・・・成功への願望や、楽しいことの模索・・・を探ったりしていたんじゃないか。あるいはときには時間とはなにかとか、知らないところで流れている時間に自分が属していないということは一体どういうことだ?とかなんとか、妙にひねくれたことを考えたりも。

 だけどそんなことも考えずに、ときどき風が強いと、ちょっと寒いななど五感からの直接的な反応を感想として言葉にするだけ。しいていえば、待っている気分なのだろう。朗報というのか、少しでも良くなることを。なにが?って、なにもかも。