ピッツァ

 家の近くにピッツァの店が新規オープンしました。一週間ほどまえの雨の休日の昼に、ひとり、傘さして行ってみた。その日はまだオープンセールでちょっと今後の定価より安価にいただけました。頼んだのは野菜のピッツァで、なんとか言う名前が付いていましたが忘れてしまいました。さっぱりした感じで実に良かった。実は写真の左上にちょこっとだけ写っているのは一緒に頼んでしまった、エールビールで同じ市の海のそばで造られているとのこと。「頼んでしまった」と書いたのは、案の定帰宅したらほどなく眠くなってしまい、その休日の午後は昼寝をして過ごすことになった、本当はちょっと読書をしたかったのだけれど、叶いませんでした。ピッツァは半球状のイタリア製の薪で火を起こす釜で焼かれます。あの大きな釜で、直径は2m弱くらいかな?25cmのピッツァが焼かれる。もし注文が増えるといっぺんに何個までが焼くことが出来るのか?よほど釜の内部の、ピッツァが置かれる場所の温度の均一性と高温が重要なのでしょうね。

 ピッツァ釜の半球形状に似ているというだけのつながりで思い出したのはプラネタリウムで、先日NHKのAMラジオ「マイあさ!」、自家用車で通勤するときに聴くことがあるのですが、この番組で地方にお住まいの一般公募なのかしら、レポーターの方から話を聴くコーナーがあり、明石の方だったかな、プラネタリウムの話をしていました。今年はプラネタリウムができて100年目だそうで、全国のプラネタリウムを有する天文台などが連動して、100周年企画投影というのを開催しているそう。100年前の夜空を再現しているとのこと。だけどこれを読んでる皆さんも、わたしもそれを聴いて、星の位置なんか100年じゃなにも変わらないんじゃないか?と思うわけです。するとアナウンサーも同じことを質問しました。答えは「星の位置はほとんど変わってないですが、100年のあいだに宇宙に関して判明したことがたくさんあるんです」との答え。一体それが投影される数十分の作品にどう反映されているのかはわかりませんが、あのプラネタリウムの投影内容と連動したナレーションで語られる物語になにか仕掛けがあるのでしょうね。

 100年のあいだに知ってしまった科学的知見を持って夜空を見るのと、知らなかった100年前に理屈がわからず夜空を見るのは、どう違うのでしょう?人類の未来のために科学者はいろいろと調べ明らかにし生かす、ということをするわけですが、空を見上げる一般のわれわれは、知らない方がロマンがある場合もあるに違いない。でも知ったうえでまだ判明してないなにかにロマンを感じる方が同時代的ロマンってことなのかな?

 100年どころかもっとずっと前だろうけれど、なぜ月は満ち欠けするのか?なぜたまに太陽が陰るのか(日食)?を理屈がわからず考えた人たちがいたわけで、でもロマンというより怖れだったんだろうな。

 次の夜からは欠ける満月より十四番目の月が一番好き、とかなんとか、ユーミンが歌ってました。月が満ちて行くというのは右肩上がりのイメージで、そりゃそうだと共通認識しているけど、これなんか実はすごく昔から面々と受け継がれてきた印象の系譜ってことかもしれない。