旅の本

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相変わらず数年前に撮った写真を使っています。これは2018年の8月の川崎駅前。写真に写っている人たちがマスクをしていない、というだけでなんと素晴らしく見えることでしょう!

8/14土曜日、日本列島には梅雨末期のような前線が停滞していて九州や山陰山陽ではここのところ聞くようになった気象の単語である「線状降水帯」が居座っていて、またもや土砂崩れや洪水の被害が出ているそうだ。長雨の小説・・・20代に読んだのだと思うレイ・ブラッドベリのどこかの異星で探検隊がずっと雨に降り続けられてだんだん疲労困憊していくような中編・・・あったかな?なんとなくそんな話があったように思うのだが。あるいは椎名誠にも長い雨の小説があったように思います。

(いま調べたらブラッドベリの短編集「ウは宇宙船のウ」に「長雨」という雨が降り続く金星を歩く探検隊の話があるようでした)

「ウは宇宙船のウ」には「初期の終わり」や「霧笛」など若いころ(二十歳のころ)ものすごく感動というか感心というか・・・・そういう短編がたくさん収められている。あの頃は名古屋市の四畳半の部屋に下宿していた。大家さんの居間を突っ切った先のドアを開けて廊下の左側にある部屋だった。その古い畳の部屋で、扇風機と団扇で涼み、蚊取り線香の煙が流れるなか、山下達郎の「夏の陽」をかけたりしつつ、ブローティガンブラッドベリをたくさん読んだものです。思い出すと、冷蔵庫もなかった。となりの村上くんの部屋には小さな冷蔵冷凍庫があったので、麦茶を凍らせてそれがちょっとづつ溶けたのを飲んだりしましたね。ブラッドベリブローティガンの一方で当時大流行していた五木寛之とかあるいは角川書店(文庫)がキャンペーンで売り出していた横溝正史推理小説とかもたくさん読んだ。角川文庫のキャッチコピーは「ポケットの中の角川文庫」というもので本を持って(ジーンズの尻ポケットに一冊ねじ込んで)旅に出よう、というようなことだったので時代として若い人の一人旅が「かっこいい」感じであることが背景にあった。たしかパイオニアのカーステレオかなにかも「ロンサム・カウボーイ」と言って一人旅を前提にしていたように思う。

今日は雨が降っていて、雨の日の思い出ってあるだろうか?といろいろ考えてみたが、あんまり思い出せないものです。ある用事のあった日が運悪く雨だったことは多々あったに違いないが、それが決定的になにか用事を阻害するとかあるいは予想しなかった偶然に雨のせいで巡り合ったとか、そんなことは滅多に起きず(一回も起きず?)だから雨だったかどうかは記憶から零れるんじゃないのか?さだまさしの「雨宿り」のようなことは発生しない。

上記の「一人旅」と書いて思い出したのは、たぶん18歳か19歳の頃、夏休みが始まるときに下宿していた名古屋市から実家の神奈川県平塚市に帰るときに東海道新幹線を使わず、中央西線中央東線で途中に霧ケ峰に寄って帰ったことがあったってことだ。中央西線は名古屋を深夜に発車する急行で早朝にどこだったのだろう?松本?につき、乗り換えて上諏訪だったか下諏訪だったかに行き、そこからバスで霧ケ峰に上がった。目的はニッコウキスゲのオレンジの花が一面に咲いている風景を見たかったということなのだが、その日が雨だった。しかもバスが高原に登るとそこはもう一面の霧が出ていて、五メートルか十メートルだったかはもう覚えていないけれど、高原を見渡すなんてことは全く出来なかった。遊歩道を少しだけ歩いて、数メートルの範囲に咲いている花をときどき見るだけだった。安価な雨合羽を持っていたような気がするが、そうだとするとどこで買ったのだろう。

霧ケ峰にはこのあとも数回は行っている。茅ケ崎に住むようになったあとも自家用車で写真を撮りに行ったことがあった。だけどニッコウキスゲが観光本や観光ウェブサイトに掲載された写真のようにたくさん咲いているところに出会ったことは結局はないと思う。それからやはり霧や雨の日に当たったこともあったのではないか。というのも上記の記憶は一人旅ではあるものの、ほかに自家用車に会社の仲間3人くらいで乗って行ったことがあるような気もするし、学生時代にもその後自動車メーカーに就職したSくんと二人で行ったことがあった気もしないでもないのだった。

一人旅のときだったと思うが霧ケ峰のバス停留所のあるレストハウスに戻って来て温かい蕎麦を食べました。きのこ蕎麦だったか。

旅行に行くのだから読書などせず観光をせえ!という意見もあるかもしれないが、私は旅行は読書機会にもしたいのだ。なので持っていく本を悩む。悩んだ上に一冊に厳選できなくて二冊から三冊持って行ってしまう。そしてたいていの旅ではそのうちの一冊のせいぜい百ページも読まずに帰ってくるのだ。でもそれでいいという気もする。

まったく覚えていないけれど、もしかしたらだよ、上記の霧ケ峰への旅行にブラッドベリを持っていったかもしれない。夜行急行も四人ボックス席の自由席車両で、電気も消えず、深夜の二時か三時までは眠れずに本を読んでいた。ブラッドベリの「霧笛」、夜行急行の眠れない夜に読むとか似合いますね。

 

 

ノー・ルック撮影

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そんなわけでまた2017年の8月の写真を「蔵出し」してみました。藤沢のベッカーズだけどここもいまはもう改築されたかもしれない。

吉田篤弘著「流星シネマ」(ハルキ文庫)を読んだ。数日前に8mmシネカメラの上映会のことを書いたけれどまさにそこに書いたような上映会の様子が小説に出てきた。あるいはノー・ルック撮影のことが書かれていた。ノーファインダー撮影とも言うだろう。小説にはノー・ルック撮影で8mmシネ動画を撮った新聞記者の男がこう言っている。

「私の目が見たものである必要はナイのです。私の目が見たものは私のブレインにしっかり刻まれていますから。そうではなくて、自分の目とは別のもうひとつの目~ナント云ったらいいのでしょう~第三者の目と云えばいいのでしょうか、そうした、もうひとつの視線が記事を書くためには必要なのです」

あるいは

「私の目で見たものは、私の考えにとらわれてしまいます。そうではなく、そのときたまたまソコに居合わせた鳥や虫やノラ猫の視線がとらえたもの~ニンゲンの思惑から外れた視線が大事なのです」

そして、それに呼応して別の登場人物の女性が

「わたしの思惑を超えたところにある視線ということ。わたしはずっと、それを身につけたいとあがいてきた。これは、わたしだけの考えだけど、わたしの好きな詩人は、皆、そのあたりをわきまえていた、というか、彼や彼女たちは、そのもうひとつの目~もうひとつの視野を先天的に携えてこの世に生まれ出てきた」

う~ん、なんかよくわからないようなわかるような。

ノーファインダー撮影の面白さが、撮りたかった主被写体的なものはたいていは画面に、真ん中とは限らずずれて端っこになっていることもあるけれど、たいていは画角に入っているけれど、その主被写体ではない周りの状況や背景はきっちりとフレーミングされてはいないから、とくにそのあたりには偶然が写っている。偶然に写ったものがもうひとつの目とか視線と感じたことはないけれど、無意識的なものがフレーミングされることを意識的に後から見直して自分の写真なのに自分が撮影時に意図していなかった偶然の面白さを感じることは間違いなくありますね。

上の写真にはノーファインダー撮影をしている私が写りこんでいるようですね。右手でカメラを持ちぶれないようにカメラを左の肩の付け根辺りの胸に押し付けて保持してシャッターをだいたいの方向に向けて押しているようです。

それからこういう店の中で一人でいる場面を撮りたくなるその背景にはたぶんエドワード・ホッパーの絵なんかが刷り込まれているんじゃないかな。

 

 

カワサキの緑

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昨日のブログに載せたデニーズの写真のすぐあとのコマに信号待ちをするカワサキのオートバイが写っていた。この緑色はカワサキのカラー。でもスズキやヤマハやホンダのオートバイにカワサキの緑のような代表色ってあったのだろうか?

本日8/9は東京オリンピックでいろいろ変則カレンダーになっている2021年は休日だ。アマゾンプライムで「きみの鳥はうたえる」「アスファルト」の二本、映画を観た。映画を観たのは久しぶりだった。「アスファルト」は二回目。見始めて20分くらいして以前に観たことがあったことをやっと思い出した。

夜にはベルマーレアントラーズの試合を見たが、ロスタイムにちょっと不運な感じの間の抜けたシュートが入ってしまいベルマーレは四連敗だか五連敗になってしまった。ひとつひとつの試合を見ていると負けた試合の多くも拮抗した試合で、どっちが勝ってもおかしくなかった、運不運が勝敗を分けた、と感じることが多いのだがでもそれが二十試合近く蓄積して大きな勝ち点の差がついているということは、そう感じる方が間違っていて、やっぱり結局は微妙に弱いその弱さが順位に真っ当に反映されているってことなのだろう。

と言うわけでPCモニターを一日眺めて(あるいは注視したり睨んだり)いたら、すっかり目が疲れてしまったのだった。

なかなか写真撮影枚数が伸びません。ここに載せたい写真も撮れない。それでこんな風に古い夏の写真を使っているわけです。

選手の撮る写真

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写真は2017年の8月の平塚市の馬入のデニーズ。その後に建て替えられて、いまはデザインがもっとシックな新しいデニーズになってますね。2016年くらいかな、休日の朝に湘南平平塚市と大磯町のあいだにある丘陵上の海を見渡せる展望台)に写真を撮りに行った帰りに何回かこのデニーズでモーニングを食べたことがあった。朝のデニーズは常連のお年寄りが何人かいて、もう顔なじみになっているらしいウエイトレスのおばちゃんに冗談を言って叱られたりしながら楽しそうにトーストを食べたりコーヒーを飲んだり新聞を読んだりしていた。建物が新しくなったあとにこの馬入のデニーズには行ってない。同じく茅ケ崎海岸のデニーズもこの写真のテイストの建物だったのが同じ頃に同じシックなデザインに建て替わった。建て替わったことで足が遠のいたわけではないけれど茅ケ崎海岸のデニーズも行かなくなった。もしかしたら明確な「デニーズ行こう!」と言う理由がなくても、なんとなくお腹が空いたときにそれほど明確に意識的ではなく消去法的に「デニーズでいいや」と入店していたそのギリギリの無意識な判断に建物のデザインが関係しているのかもしれない。この古いデニーズの建物は1980年代90年代くらいのアメリカっぽいチープさがあってそれがいつのまにか古めかしく枯れた感じになって良いのだ。なんてね、こんなところに良いと感じるのは世代的な嗜好に過ぎない。

前回のブログに便利と言うのはハレの日にのみ使われていた道具がケに含まれていく方向の変化ではないか?などと書いてみたが、東京オリンピック2020の閉会式をぼんやりと眺めていたら入場してくる各国の選手たちがみなスマホで写真を撮っていた。これは彼らにとっては明らかにハレの日の写真になるのだろうな。しかも選手視線の写真は報道陣もなかなか撮れない写真になっているだろう。ちょっと彼らの撮った写真を見たくなった。結局便利になるということはハレだケだ関係なく多用されるということで、その当たり前の状況をテレビ画面の中にみて少しだけ愕然としたのだった。

男子マラソンをぼんやりとスタートから試合が終わるまでずっとテレビで眺めていました。

雨の音

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写真と文章はまったく関係ないです。今朝は雨の音で目が覚めた。台風が近づいているそうです。

数日前のブログに、ファミリー動画をフイルムの8mmシネカメラで撮り現像が上がってきたリールフイルムは映写機を使って壁に吊るしたシーツなどに投影して、夜、ファミリー鑑賞会をして楽しんでいた、そういう時代から現在のスマホで簡単に動画が撮れて、かつ即鑑賞できるように技術の進化に伴って革新が続いてきて、これは便利になったというべきことだが、いろいろ面倒だったときに動画を見るという最後の目的に行き着くまでのあれこれって、最終目的とは関係ない「過程」に過ぎず、すなわちすべて意味がなかったのだろうか?と言うようなことを書きました。その延長で考えていたのは、当たり前のことに過ぎないのかもしれないけれど、結局この目的に至る「過程」が面倒だったりそこになにか技術が必要だったり(誰でもが簡単に出来るわけではないということ)時間が掛かったりすることで、その目的を毎日のように簡単に実行できない(例えば上記の動画鑑賞で言い換えるとファミリー鑑賞会は毎日のようにやることではなかった場合が大半だろう)、その簡単には実行できないということ故にその実行行為(例でいえばファミリー鑑賞会)は日常に属せず非日常側にあったのだろうということです。ハレとケを調べるとハレは非日常でケは日常と説明されている。すなわち便利によっていろいろな行為を皆がやるようになる、イコール「すそ野が広がる」と言うことは、ハレからケ、非日常から日常に取り込まれるということで、便利ということの持つベクトルはハレからケの方向なのではないだろうか。そういうことを考えました。そう考えると、ハレに属していた不便なころのある行為はそのハレの頂点(ハレ舞台。例でいえば親戚がお盆に集まった夜に行われたファミリー鑑賞会)で非日常としての喜怒哀楽(特に喜や楽)をピークに持っていくための助走というか前奏というのか、その準備動作(便利になることで取り除かれる行為)がピークをもたらすために必須のことだった。しかし、ケに属することが「出来る」ようになったいまとなっては、そういう助走とか前奏は取り払われても支障ないことになった。そんなことを考えたのです。

写真撮影や動画撮影の行為がハレに属していたときに被写体もハレに相応しい記念写真や絶景風景やハレのイベント記録を撮ることは相性がいい、というか写真を撮るとはそういうこととイコールだっただろう。一方でそういう撮影行為がハレの行為だった頃にケである日常を撮った人たちはだから稀有であり、まぁ言い方が適切かどうかわからないけれど「変わり者」だったかもしれないし、それこそ「道楽者」とか「富裕層の趣味」だった。ハレの機械だったハレを記録するカメラしかない頃、ケを記録する機会もハレを記録するカメラを転用するしかなかった。だけどいまはケはスマホで記録すればほぼほぼ足りてしまうからカメラという撮影専用機でわざわざケを記録することは全体傾向として減ってしまう(すなわち十年前にはあれだけ売れていたコンデジスマホに置き換わりケに吸収される)ということから推測できるのは、スマホではなくミラーレスでもミラーありでもいいけれど、そういう撮影専用機械である大きなカメラを持ち出すときに一番相性が良いのは以前よりさらにましてハレの撮影ということになっているのかもしれない。でも、写真におけるハレとはなにか?と言うことになると実はケに含まれる決定的瞬間はハレが顔を出す一瞬かもしれないし、一方でわかりやすく絶景風景とか絶景夜景もハレとなる。そういうベクトルに逆らいかつ新しい驚きを提示することが芸術なのだとすると、ケ(イコール同時代的な暮らしの変化を含む)をハレの機械でケの機械では写らないハレの機械の優位性を生かして撮影することが同時代的な芸術行為なのかもしれないが・・・しかしそういうことすらすでに歴史に刻まれていて例えばウォーカー・エバンスの「アメリカン・フォトグラフ」とか、カラー後はショアの「アンコモン・プライス」とか。誰も撮らなかったところを撮ることの難しさはますます増しているんだろう。

ということを考えたのだけれどこれだっていくつかの仮定があり、他の可能性をとりあえず「さておいて」と排除しているのはわかっています。例えば最近スマホで撮った写真をすぐには鑑賞したりシェアしたりできず、じらす(待たせる)時間を間に設けるようなアプリがあるらしい。こういうことが受け入れられるのは「なんちゃってむかしのハレの機械としてのカメラ」「ケを強引になんちゃってハレに変える試み」と言うことなのだろうか。

水平線の雲

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「この町からは海が見える。夏になると水平線の上に入道雲が並ぶんだ。なのにこの町の上には入道雲はやってこない。だから遠雷は聞こえても、この町には夕立は来ない。嘘じゃないさ。夕立が来れば少しは涼しくなるって話は聞いたことがあるけれど、夕立が来たためしがないから涼しくはならない。夜になってもいつも町は熱を持ったままだ。碌なもんじゃない。」なんて言う嘘の話(上記のかっこ内文章のうち「なのに」以降はぜんぶ嘘だ)をでっちあげて誰かに話したから、以来、水平線に並ぶ入道雲の写真を撮ろうと思うようになった。嘘の話でもその水平線に並ぶ入道雲の風景だけは本当だと思っていたが、気にするようになってから夏になって海に行くたびに水平線を見るが、なかなかそんな風景には出会えない。下の写真は今朝だ。水平線の上にちょぼちょぼとだけ並ぶ雲は迫力が足りず思い描いている風景とは程遠い。どうやらかっこ内の話を思いついたときに、その風景だけは本当だと思い込んでいたが、それすら嘘の(妄想の)風景だったのか。いや、午後になればちゃんと入道雲が水平線上に並ぶのか。そうでなければ嘘の話である上に嘘の風景がその嘘話の発端だったことになる。最初にその嘘の話を思いついたのはもう四十年くらい前のことだ。夕立が来ないなんて言うのは嘘で、実際にはたまにだけれどちゃんと夕立は来るだろう。

今朝は家を6時に出て自転車で海まで行って9時頃に戻ってきた。写真は例えば上のような工場のあいだの下り坂を撮ったりしました。そのあと相模湾河口の海まで行ったので上のようなことを思い出したり考えたりしつつ下の写真を撮った。

古本屋に行くときに買いたい本を先に決めていくとなかなか出会わないものだ。そういう買いたい本が明確であるときはネットで探して注文するとか古本屋に電話をして問い合わせ確保しておいてもらう方がずっと確実だ。それでも古本屋に行くのは、気に入る本に出会うことを求めているからでその一期一会的な本との出会いが嬉しいからだ。かといってその出会う本がなにかは事前には知らない。写真も撮る前に妄想してこういう写真を撮ろう!と決めたときは、それを成功させるためにちゃんと様々な調査をしたうえで何度も通ったり撮影ポイントや日時を測ったりそのためのレンズを準備したりしながら妄想から用意周到に実際の写真に置き換えるという楽しさがある。一方で、妄想はあまりせずにたまたまそこへ行き、自分の心の赴くままに偶然的な出会いを撮っていくという写真がある。しかも一人のカメラマンには、その両者(事前妄想の実現を目指す写真となにも期待せずただ出会ったところを撮り押さえていく写真)の撮影動機がごちゃまぜにあって、それ以外の撮影動機もさらに加わって、でもいちいちそんなことは意識せずにただカメラを持ってどこかへ出かける。

そんな感じ。早起きして出かけると帰宅後に眠くなりました。

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無題

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先日NHKテレビの短い番組、沢村貞子さんが遺した食事の日記からひとつを選んで料理を作るという番組を観ていたら、鰹節を削る場面があり、私が小学生の頃によく台所で鰹節をそこに映ったような家庭用の鰹節削り、長細い箱の上面にカンナのように削り刃が出ていて、その上面に密着させて鰹節を滑らすことでまさにかんなで木材を削るように鰹節を削っていた。小学生の頃になにか母の家事を手伝うことと言えば、この鰹節削りが・・・ほかの手伝いと比べて楽なので・・・よく削っていた。それを必要とする料理が本日にはなくても近日中には使うに決まっているので削り過ぎを叱られることもなかった。そんなことを思い出す。さて、鰹節は手元側に引いてくるときに削れるような向きに刃を置いていただろうか、あるいは向こうに押し出すときに削れるようにしていただろうか。テレビのその場面を見ているうちにすっかり混乱してしまった。

最近、ローソン(コンビニ)で冷奴セットのようなのを売っている。発泡材で作られた小さな皿が付いていてそこにケース?に収まった豆腐を下向きにしてからケースを指で摘むとするりと落ちる。付属の醤油と生姜と鰹節と一緒にいただく。鰹節はもちろん削られているものが小さなパックに入っている。上に書いたように私が台所の板の間に座り込んで鰹節を削っていた頃、削った鰹節のパックはすでに売られていたのだろうか?ローソンの冷奴はなかなか美味しい。

手間を掛けることを省いて、新しい方法なり自動化技術を用いることで手間を掛けて得たものと同等(以上)の品質のものが手に入るのであれば、それは手間を掛ける意味がないから、さっさと手間を掛けることを省いて新しい方法なり自動化技術を支持すればそれが便利になったということだろうか。たぶん概ねそれでよいのだろうなとは思う。思うけれど、すべてそうなのかな?とも思う。

お手伝いとして鰹節を削っていた子供の頃に、プライベートな動画を見るのはいまのようなスマートフォンの動画機能で撮ってそのスマートフォンの液晶画面で見るなんていうことからは程遠くて、その前の時代の動画専用ビデオカメラ(記録媒体こそアナログ信号の磁気テープからデジタル信号を記録する磁気テープからさらにディスクを経てハードディスクドライブやカードメディアと変わってきた)で撮ってPCモニターやテレビで鑑賞することからさらに前のシネの8mmフイルムで撮るカメラを使って撮って、それを投影する映写機を使ってふすまや、ふすまが白くないときには白いシーツかなにかを壁にピン留めして吊るしてそこに映していたのだった。一本のフイルムで3分くらいしか撮れなかったし、音が記録出来ないサイレントフイルムの方が主流だった。これは記録時間も画質も音声品質も、なにもかもが最新の手法が勝っているわけだけれど、その出来た私的な動画、子供の運動会とか七五三とか、そういうハレの日の記録動画を観たときに思うことの深さみたいなことは、記録時間や画質や音声品質の向上に比例して深くなっているのか?と問われるとそれには比例も反比例もしていないと思うわけです。ただ撮る機会とか見る機会が、そういう進歩により楽になり圧倒的に増えていること、だれもが簡単に動画を記録するようになったこと、と言うことが便利の総体だろうからその視点から言えば素晴らしいこと。

壁にシーツを吊るす、映写機をセットする、現像が終わったリールをセットする、フイルムの先っぽを巻き取り側のリールに噛ませる、スイッチを入れてカタカタと音を立てながら映写機がフイルムをちゃんと送っていくことを確認する(フイルムが送られずに同じ位置で停まるとランプの熱で溶けてしまう)ランプを付ける、像が写り子供たちが運動会で走ったり笑顔でカメラに駆け寄ってくる様子が音もなく不確かな像で映る。風が吹くとシーツが少し揺れて像が乱れる。家族や夏休みで遊びに来ている親戚をこの準備の出来た部屋に呼ぶ。もちろん夜だ。暗くなければ像が見えない。

こういう今から見ると不便極まりない準備動作が家族や親せきの中の動画好きのオジサンと言う人がいて担当する。鍋奉行ならぬシネ8奉行みたいだ。そういうオジサンが皆のために準備をしていることをワクワクして見守っている。あるいは手伝いたくなる。これはハレの日である夏休みのお盆のころの一大イベントであり、日常のなかには(ハレでないところには)ファミリー動画を見るなんてことは含まれていなかった。

不便なのにあえてそれでもやっていたことに対しての期待感がそれを受け取る側(シネ8を観る側)にもわかっているからその期待感やらなにやらを背景にしていることでそこで観た映像から感じることの深さがとても大事だった・・・と言うことは一つの視点からの考察に過ぎないのだろうが、間違ってもいない・・・気がする。

だから鰹節削りだって、子供が削った不揃いの大きさの削り節であってプロの料理の味にはそのせいで行き着けないにせよ、このシネ8の鑑賞会同様に、その不便を経由しているからこそ得るものがあったのかもしれない。

神奈川県平塚市とその西に接している神奈川県中郡大磯町のちょうど境界あたりにある丘陵地帯にある公園から見下ろした光景を撮った写真は上の写真もそうだけれどこのブログに何回も載せてきた。丘のてっぺんなのでもちろん暑いけれども風が吹いていて、なかなか気持ちが良いです。