無題

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先日NHKテレビの短い番組、沢村貞子さんが遺した食事の日記からひとつを選んで料理を作るという番組を観ていたら、鰹節を削る場面があり、私が小学生の頃によく台所で鰹節をそこに映ったような家庭用の鰹節削り、長細い箱の上面にカンナのように削り刃が出ていて、その上面に密着させて鰹節を滑らすことでまさにかんなで木材を削るように鰹節を削っていた。小学生の頃になにか母の家事を手伝うことと言えば、この鰹節削りが・・・ほかの手伝いと比べて楽なので・・・よく削っていた。それを必要とする料理が本日にはなくても近日中には使うに決まっているので削り過ぎを叱られることもなかった。そんなことを思い出す。さて、鰹節は手元側に引いてくるときに削れるような向きに刃を置いていただろうか、あるいは向こうに押し出すときに削れるようにしていただろうか。テレビのその場面を見ているうちにすっかり混乱してしまった。

最近、ローソン(コンビニ)で冷奴セットのようなのを売っている。発泡材で作られた小さな皿が付いていてそこにケース?に収まった豆腐を下向きにしてからケースを指で摘むとするりと落ちる。付属の醤油と生姜と鰹節と一緒にいただく。鰹節はもちろん削られているものが小さなパックに入っている。上に書いたように私が台所の板の間に座り込んで鰹節を削っていた頃、削った鰹節のパックはすでに売られていたのだろうか?ローソンの冷奴はなかなか美味しい。

手間を掛けることを省いて、新しい方法なり自動化技術を用いることで手間を掛けて得たものと同等(以上)の品質のものが手に入るのであれば、それは手間を掛ける意味がないから、さっさと手間を掛けることを省いて新しい方法なり自動化技術を支持すればそれが便利になったということだろうか。たぶん概ねそれでよいのだろうなとは思う。思うけれど、すべてそうなのかな?とも思う。

お手伝いとして鰹節を削っていた子供の頃に、プライベートな動画を見るのはいまのようなスマートフォンの動画機能で撮ってそのスマートフォンの液晶画面で見るなんていうことからは程遠くて、その前の時代の動画専用ビデオカメラ(記録媒体こそアナログ信号の磁気テープからデジタル信号を記録する磁気テープからさらにディスクを経てハードディスクドライブやカードメディアと変わってきた)で撮ってPCモニターやテレビで鑑賞することからさらに前のシネの8mmフイルムで撮るカメラを使って撮って、それを投影する映写機を使ってふすまや、ふすまが白くないときには白いシーツかなにかを壁にピン留めして吊るしてそこに映していたのだった。一本のフイルムで3分くらいしか撮れなかったし、音が記録出来ないサイレントフイルムの方が主流だった。これは記録時間も画質も音声品質も、なにもかもが最新の手法が勝っているわけだけれど、その出来た私的な動画、子供の運動会とか七五三とか、そういうハレの日の記録動画を観たときに思うことの深さみたいなことは、記録時間や画質や音声品質の向上に比例して深くなっているのか?と問われるとそれには比例も反比例もしていないと思うわけです。ただ撮る機会とか見る機会が、そういう進歩により楽になり圧倒的に増えていること、だれもが簡単に動画を記録するようになったこと、と言うことが便利の総体だろうからその視点から言えば素晴らしいこと。

壁にシーツを吊るす、映写機をセットする、現像が終わったリールをセットする、フイルムの先っぽを巻き取り側のリールに噛ませる、スイッチを入れてカタカタと音を立てながら映写機がフイルムをちゃんと送っていくことを確認する(フイルムが送られずに同じ位置で停まるとランプの熱で溶けてしまう)ランプを付ける、像が写り子供たちが運動会で走ったり笑顔でカメラに駆け寄ってくる様子が音もなく不確かな像で映る。風が吹くとシーツが少し揺れて像が乱れる。家族や夏休みで遊びに来ている親戚をこの準備の出来た部屋に呼ぶ。もちろん夜だ。暗くなければ像が見えない。

こういう今から見ると不便極まりない準備動作が家族や親せきの中の動画好きのオジサンと言う人がいて担当する。鍋奉行ならぬシネ8奉行みたいだ。そういうオジサンが皆のために準備をしていることをワクワクして見守っている。あるいは手伝いたくなる。これはハレの日である夏休みのお盆のころの一大イベントであり、日常のなかには(ハレでないところには)ファミリー動画を見るなんてことは含まれていなかった。

不便なのにあえてそれでもやっていたことに対しての期待感がそれを受け取る側(シネ8を観る側)にもわかっているからその期待感やらなにやらを背景にしていることでそこで観た映像から感じることの深さがとても大事だった・・・と言うことは一つの視点からの考察に過ぎないのだろうが、間違ってもいない・・・気がする。

だから鰹節削りだって、子供が削った不揃いの大きさの削り節であってプロの料理の味にはそのせいで行き着けないにせよ、このシネ8の鑑賞会同様に、その不便を経由しているからこそ得るものがあったのかもしれない。

神奈川県平塚市とその西に接している神奈川県中郡大磯町のちょうど境界あたりにある丘陵地帯にある公園から見下ろした光景を撮った写真は上の写真もそうだけれどこのブログに何回も載せてきた。丘のてっぺんなのでもちろん暑いけれども風が吹いていて、なかなか気持ちが良いです。