街は変わるべきか残すべきか

 これは都内京橋あたりの新しいビルでひと月くらい前に撮った写真。二人の若い男女が階段を登って行く。この後ろ姿だけからも女性が何かを話していて、男性がそれを聞いているように見える。木々の葉はまだ若葉だ。たぶん同じ場所に今行けば、緑はもっと濃く、堂々としているのだろう。二人が何を話題にしているのかは全くわからない。だけど目下の計画について、こうしたら良いんじゃないか、あれは駄目だろうか、いっそこうしてみると良いかもしれない、と話しているんじゃないか。それに相当する計画がこうしてブログを書いていても「例」すら浮かばないな・・・。

 最近、アマゾンプライムビデオで「名建築で昼食を」という1回約30分が10回プラス一回の特別編のドラマを見ました。田口トモロヲ池田エライザが出演している。一応ドラマなので二人がどうして知り合って、どういう関係性で、それぞれの抱えている計画や逡巡があって・・・なのだが、まぁそれはさておき、やはり二人が毎回尋ねる建築が素晴らしい。行ってみた場所もなくはないが、そういう見方で建築の隅々を見てこなかった・・・だから、行ったことのある場所でも再訪したくなる。行ったことがない建築はそれはもちろん行ってみたくなる。目黒区役所や神奈川県立音楽堂や国際子供図書館・・・行ってみたい。そんなドラマを見ていて思ったのは、そういう大きな公共施設やビルなどの名建築が補強されて使われ続けたり、Kitteや丸ビル(ともに東京丸の内にあるやつ)のように表層の一部を残しつつ建て替えることで雰囲気を残したりする。いいことだと思う。

 だけど、そのあたりの住宅街の一般住宅は40年くらいの周期で新しく建て替えられ、私は建築史家ではないから理路整然とテキストで解説なんかできないけれど、見た感じでだいたいわかる、古い家の当時の流行、洋風の家やマンションだと横線が多いフラットな感じのアメリカ風とか、日本家屋だと三角の大きな屋根に重なるように小さな屋根が連なるようなとか、玄関先にちょっと白い壁の目隠しのような壁が立てられその形が緩やかに波打っていたり丸い穴があったり、とか。そういう家がどんどん建て替えられる時期に入っていて、あっというまに消えつつあるだろう。というより例えばこの茅ケ崎の住宅街を歩いていてもそういうちょっとイイ感じだなと思っていた古い一般住宅はもうほとんど残っていない。集合住宅にしても古い公団にあるような一つの棟に階段が例えば三か所あって、一つの階段は一つの階あたり向き合った二戸の入り口になっているという典型だった構造のものも消えつつある。そして、そういうのは市井で生まれて、著名ではなく当たり前で、当たり前であり個人のものは、誰も保存しようなどと思わないうちになくなっている。

 それで、計画なんだけど(笑)、まぁこういう一般住宅や、あるいは戦後の闇市に始まったという歴史を持っていることの多い駅前のごちゃごちゃした路地からなるマーケットや街区や、大阪でいえば何度か火災が出たけど法善寺横丁や新宿のゴールデン街のような歓楽街や、京都の今もある折り鶴会館のような飲み屋の入った古いビルや、そういうところをそのまま維持して残していくのを前提にして、現代に許される安全性やインフラを整備するというような街づくりは出来ないのかな?と思う。あ、でも都内では難しくても地方再生はシャッター街のリノベから若い人を呼び込むような流れだから、それと同じか・・・

 いや、新宿ゴールデン街で言えば、鬼籍に入られた元都知事は再開発計画をぶち上げ、更地にしてしまってその土地をこうしようああしようと計画されていた。いまも街は健在なので、いまのところは阻止派ががんばったということだろう。だけど東京駅は全部壊して建て替えようとはせず、寧ろ戦前の姿に戻そうという計画でこれは実行された。東京駅のような考え方を街区に対しても行政が協力して維持保全して街区の目的を変更せず生きた形で保存した方が、ゴールデン街や新宿思い出横丁や吉祥寺のハモニカ横丁や本体の築地市場が消えたあとの場外市場(が今生きてるのかは知らないけど……)よほど観光資源にもなるんじゃないか?再開発の手法に、そういうやり方が、あってもいいのにな、そしてさらに難しいのは、その先に、なんとか一般住宅における時代とともにあった流行の変遷を残せないものかな?と思ったんですけどね。まぁ、集合住宅ですら同潤会アパートが一棟も残せなかったんだから、ましてや、となるんだろう。だけどコルビュジエの集合住宅マルセイユのユニテダビタシオンなんかは多分壊されない。結局建築家の知名度という権威が必要なのか。あ、中銀カプセルタワービルは取り壊しが始まったとか、ふた月くらい前にニュースになってましたね。昭和40年代の市井にあった美しいありふれた一般住宅の保存、この計画はどうあるべきか?どうでしょうか?京橋の新しいビルの階段を登る若い二人が話してる……とは思えないか。建築好きのおっさんが飲み屋の片隅で話してるだけ?世の中経済で回ってるから一般住宅が売られると4戸とかに切り分けられてせせこましい戸建てに変わるけどさ、そうではなくリノベして耐震もセキュリティーもインフラ設備も内装も必要に応じて最新のものにしつつ残すという一般住宅のサイクルができないか?とかね。そのサイクルから生まれる建築やさん住宅屋さんの利益が今の「切り分け新築チープな4戸」サイクルより利益が生まれればそんなことも、出来るのか?

 それともそういうのを「残してほしい」と思うこと自体が、すでにもう意味はなく価値もなく、「なんで?」と言うことなのか。

 この写真に写った新しいビルで子供たちはかくれんぼが出来るだろうか?いや、でも大丈夫だろう。子供の遊びの発明はどこであろうが生まれるに違いない。

 

 

 

偶然の低画質至上主義

 長いあいだこのブログを書いているなかで、以前に書いたことは忘れたりうろ覚えのまま、繰り返し同じような写真のことをつらつらと考えていて、ときには同じことが繰り返され、ときには以前とは真逆のことを感じて書いているんじゃないだろうか。

 この写真は一昨日、東海道線(東京-熱海)の車窓から撮ったもので、この直前に道路の下を電車がくぐったときに影のところでシャッターを半分だけ押して露出がロックしたのだろうか、道路を抜けて明るいところに来てシャッターを押したら露出オーバーになり写真が白く明るく写った。高いポールとその間に張られた網によって、線路や向こうのマンションの駐車場にサッカーボールが出ないように囲ってある、そのなかの土のサッカーグラウンドで子供たちがサッカーをしている。水色のシャツを着ている子供が多いから、チームユニフォームなのかもしれない。だけど監督役の大人は見えないし、人数もサッカーをやるには少ない。というこれだけでも、ではどういう経緯なの?と写真に写った前後の物語を推理したくなる。

 あるいは、上に書いたように露出はオーバーで、最近はデジカメでもスマホでも、だいたい見えた通りにきれいに再現をしてくれるから、こういうリアルでない(露出オーバーな)写真になってしまうことは少ないな、と思う。ではリアルではない別の見え方をする写真がすべて失敗なのかというと、それは選ぶ人や見る人の感覚であって、リアル至上主義の人にとっては問題外の写真ではあるが、先ほどからこの写真を選び、この写真を若干画質調整し、そうして眺めているわたしは、懐かしいなあ・・・それはこういう写真がフイルムっぽいという意味ではなくて・・・これを見ていて乾いた土のグラウンドに立った土埃の匂いとか、向こうの方で友だちが何人もサッカーボールを追いながら走り回っているのに、そこに参加できずに一人(そこはまったくもってオフサイドの位置なのだけれど)ゴールの前でぼーっと立っていたときのこととか、いろんなことが浮かぶのだ。これは「偶然の低画質」至上主義だ。

 考えてみれば二次元平面に何か真白ではない色の濃淡や形があるということで括れば、絵も写真も同じで、そう考えると、写真にだけいわゆる写真としての「高画質」であることが正しいことの前提のように思うのは狭量だ。

 森山大道が「写真よさようなら」と言いたかったのはそういうことなのか・・・可能性を広げることを示したかったのかもしれない。


追伸

調べたら、ほとんど似てることを書いてる日がありました。https://misaki-taku.hatenablog.com/entry/20180829

その町だけでしか手に入らない価値

  日曜日。散髪に行く。いつも行く茅ヶ崎駅近く北口側の床屋は自動受付機で番号の印刷された紙を受け取り、6人か7人いる理髪師の誰かが、担当していた一人の客の散髪と洗髪と髭剃りと整髪が終わり送り出して手が空くと、次の番号を持っている客を呼ぶというシステムだから、理髪師の指名はしない。お先にどうぞ、と後回しになりつつ整理券番号を交換しながら、希望の理髪師の順番を待つことも可能だろうけれど、そんなことをしてる人は三十年近くこの床屋に行っていて、一度も見たことはない。最近1980円になった。以前は1850円だった。子供を連れてきて、散髪が終わるあいだ店内で待っている女性、すなわち母親を見ることはあるが、女性で髪を切ってもらっている客には一度だけしか出会ったことがない。最近は理髪師と世間話をしている客はめっきりいなくなった。店内にはFMヨコハマが流れている。洗髪中に痒いところはありませんか?と聞かれるが、ありません、と答える。(ヘアリキッドの類の)油を付けますか?と聞かれて、付けません、と答える。何十年か十何年か前までは、ブラバスとかMG5やマンダムといった男性化粧品の整髪料の瓶がずらりと並んでいたものだった。その頃から私はなにも付けない派だったが、なにも付けないと最後の整髪がやりにくいかもしれず、申し訳ないなと思いながら「付けなくていいです」と言っていた。資生堂ブラバスはサックス奏者の渡辺貞夫がCMに登場していて、ヒット曲のカリフォルニア・シャワーがテレビから何度も流れたような記憶がある。1970年代の後半か80年代に。それから、1970年代の前半頃には映画俳優のチャールズ・ブロンソンが登場するマンダムのCMがあって、その時流れた「男の世界」という曲がヒットしていた。いまはYOUTUBEで当時(1970年)のテレビCMが観ることが出来る。私はあの曲をチャールズ・ブロンソン自身が歌っているのだと思い込んでいた。当時、カッコいい曲だと思ったなぁ。今日、私の髪を切ってくれた理髪師の髪型はちょっとビリケンさんのようにとんがっていて、茶なのかもっと金に近いような色に染めてあった。仕事は丁寧でちゃんと最もありふれたおじさんの横分けにしてもらった。

 理髪店のあとに南口側に回り、加山雄三通りを海の方へ行き、スペシャリティーコーヒーのスタンドでタンザニアを頼み、店内の小さなベンチに座って、店主と話しながら飲んだ。苦味と酸味と甘味のバランスが飲み始め飲み終わるまでの30分(ゆっくり時間を掛けて飲みました)のあいだに七変化していくのが素晴らしく楽しい。行ったことのない200キロほど西の町、シャッター商店街が再活性化され若い新しい店が増え始めたという話を聞く。そういう店が、都会からなにか既成なものややり方を持ち込むのではなく、その町の持っている伝統や特徴が生かされたなかで新しい考え方ややり方が交じり合って、その町だけでしか手に入らない価値が生み出せると良いんだろうなあ、なんてまぁ最近よく語られることだとは思うけれど、そう思いながらちょっと行ってみたくなる。上の写真がコーヒーの店です。

 そのあと昼飯をもう少し海側の蕎麦の店で食べる。茸の漬け蕎麦。つけ汁は茸の味が濃くてとても美味しい。美味しい美味しいとどんどん麺を食べていたら、麺が早々になくなって、汁の中に、シメジやマイタケが残ったから、最後にそれを食べる。しみじみと食べた。

 その先を左折していくと、茅ケ崎市が運営している氷室椿園がある。椿の花はすべて終わってしまっていまはどの椿もテラテラと葉を光らせて緑一杯に繁っている。椿の花が咲いていない季節だから、ほかに誰もいない、私だけの貸し切りのような庭になる。小さな畳一畳くらいの池には小さな名前が判らない植物の黄色い花が咲いている(葉は睡蓮に似ているが花はぜんぜん違う)。イトトンボが飛ぶ。ときどきすばしっこいトンボも飛んでくる。たぶんコシアキトンボ。その隣には、これは畳み二畳くらいの湿地のように作られた場所があり菖蒲が満開だった。斑入りの赤紫と白と黄色。ほとんどが菖蒲だが、単色紫のもっと花弁が細い花もありカキツバタだろうか。

 コンパクトデジタルカメラしか持っていなかったので、ちょっと心もとない感じだが、花の写真を何枚か撮る。一か所に十分以上とどまってああでもないこうでもないと写真を撮っていると、数羽で集団となっている鳥がやって来て囀り、またどこかへ移動して行った。本当にほかには誰一人来ない。菖蒲や紫陽花の名所の人だかりに行くよりよほど贅沢な時間だなと思う。紫陽花も少しだけ咲いていました。

 帰宅して午後早くからは曇りになった。

↑この黄色い花は何の花でしょうか?

 

写真になってそこに見えるものは、その場では全部は見えない

 ファッションにはほとんど興味がなかったが、大学生になり名古屋で一人暮らしを始めた頃、日本のフォークブーム(いちばんはまってしまったのは吉田拓郎だった)と、西海岸のSSW(いちばんはまってしまったのはジャクソン・ブラウンだった)を聴くことが、大学の勉強などとは比べられないほどの時間を割いていたことで(音楽を聴くのと双璧が読書で、次いで映画鑑賞だった)そのせいか、彼らミュージシャンたちが履いているベルボトムジーンズを履いてみたいと思った。そこで下宿していた街の、坂の上の角にあったジーンズショップへドキドキしながら行ってみたが、たくさんの品ぞろえからどう選べばいいのかもわからず、赤面して立ち尽くすような状態に陥ったと思う。一人暮らしをはじめて見ると、多くのことが初めてで、それでいかに実家暮らしにおいて両親がサポートしていてくれたのかが初めて判ったりする。着るものは、上述の通りファッションにはほとんど興味がなかったということもあり、母が買ってくるものをただなにも言わずに着ていたんじゃないかな・・・。中学高校の頃に着るものを母と一緒に服の店に行って自分で選んで買ってもらうなんてこともやってない。これは、今度は、ファッションに興味がないというよりも、親と一緒に外を出歩いている、ということ自体がかっこ悪いと思っていた。そんなわけで結局買い与えられた服を素直に着ていたのだと思う・・・って、これ、そもそもファッションに興味がなかったから、着るものをどうしていたかをなにも覚えてないのですね。靴とかバッグとかも一体どうしていたんだろう・・・。そんなわけで初めてファッションにおける自我が芽生えたのが18歳のときだった、遅いよ。。。大量のジーンズを前にして赤面してもしかしたら汗もかいて立ち尽くしていたらジーンズショップのおじさんが出てきたからブルージーンズを買いに来たと伝えたら、ブランドの希望は?特にはなにも・・・じゃぁ、これなんかがいいよね、そこにどういう理由があったのかしらないがボブソンを指さし、そしてぱっと私の体形を見て、たぶん28インチだと見定めてくれた。履いてみたらまさに28インチはぴったりで、そのあとはお決まりの裾上げ(その日に出来たのか数日かかったのかは覚えていない)をして、はじめてのジーンズを手に入れた。ベルボトムは「当たり前」だったからそのことはなにも聞かれずにベルボトムだった。ただ、この四年後にはもうベルボトムは主流ではなくなっていて(たぶん)私はスリムに「転向」した。その頃には、ジーンズの歴史を例えば宝島とかポパイのような雑誌で読んだのだろう、知っていて、ジーンズはリーバイスでしょ、と偉そうに拘るようになり、以降はずっとリーバイスの606だった。何年も着続けて、膝や太ももが破れると、また同じのを買って履いた。ストーンウォッシュなどされていない、新品のインディゴブルーからはじめて、最後は破れるまで。その拘りがなくなってしまったのは、ジーンズはジーンズブランドのリーバイスかリーかラングラーか(国産なら)ボブソンか・・・と言った数社のものから買うもの、という状況から、さまざまなファッションブランドが普通にジーンズもやるようになって、あるいは私が知らなかった、上記のほかのジーンズのブランドがどんどん現れて、それでもかなり長いあいだリーバイス一筋でいたけれど、とうとう十年くらい前にGAPで買って履いてみたらなにも問題はない(当たり前だ)、GAPで買ったジーンズは同じブルージーンズでもちょっと微妙に色が黒ずんだ感じであまり好きになれず、そこで今度はMUJIで買い、これは今も履いている。それから、たまにはMUJIやらGAPよりも「いい」(高い)のも買っておこうとグリーンレーベルリラクシングでも買った。いまはそのMUJIとグリーンレーベルの二本体制で、結局、どっちかがよそ行きとかどっちかが主に普段使いなんてこともせず、なんとなく洗濯を機に入れ替わっているだけだ。しかももはや以前のように「いつだってジーンズ」ではなくなっているから・・・ユニクロのイージーアンクルパンツなどがバーゲンのたびに増えたりするし・・・この二本体制はたぶんもう5年以上経っていて、どちらも以前のリーバイスのように履きつぶすように破れるには程遠い。そうそう、スリムへの拘りもリーバイスへの拘りがなくなったと同時に消えて、いまは普通のスタンダードな感じです。ちなみにウエストサイズは30くらいですかね・・・

 最初にベルボトムジーンズを買ってきて、履いてみて、早速大学に行くときやどこかに出かけるときに履くようになって、誰もが着ている定番のベルボトムのブルージーンズなのだから、だれもなにも注視したりするわけはないのに、慣れるまではどきどきした。ジーンズ初心者ということが知れてしまうのが恥ずかしいような、知られるわけないのに・・・そういう若者の自意識過剰だった。

 以前もこのブログに書いたような気がするけれど、はじめてフォークギターを買った日も、まだ弾けもしないのにギターを持っていることを見られたくなくて、バスや徒歩を選ばずに楽器屋から家までタクシーで帰ったのだから、とんでもない自意識過剰だったのに違いない。

 街歩きをしていると、当然、通行人というのか外に出ている人に遭遇する。中には初めて履いたパンツが気になっている自意識過剰少年もいれば、まだほとんどマスター出来ていない××の初心者が××の道具を持っているところを見られたくないと感じている自意識過剰少年もいるかもしれない。そして本人の過剰意識の過剰さは、まったくもっとひどい過剰であって、誰もそんなところは見てないし、見てもなんら関係なく通り過ぎる。

 

 上の写真について。

 黄色と銀色に塗られた重そうな箱には何が入っているんだろう?くらいは思う。そんなふとした疑問がトリガーとなり撮るけど撮ったらすぐに忘れていく、なぜなら次に撮るものを探しているからだけど、帰宅して取り込んでモニターに映し出して、あらためてこうして写真を眺めると、箱にはなにが?などなど撮ったとき一瞬よぎった疑問を思い出す。写真に写ることで、その一瞬になにかを考えてすぐに忘れてまた違うなにかを見てまた違うなにかを考えて・・・という次から次への「更新」が更新されずに定着され、あとから一瞬ではなくじっくりと見ることが出来てしまう。するとどうも現場で注視していたその光景を撮りたくなった理由かもしれないことよりも、別のところが見えてくることもある。隣のホームに懐かしいステンレス車両が停まり残業帰りの人たちが座っている。夜の景色で、私もこんなふうに疲れたり高揚したり仕事のアイデアを考え続けたり、切り替えて読書をしたり、次の休日の計画に思いを馳せたり……そんな夜がたくさんあった。自分の記憶に照らした、その夜の電車をぱちりと撮る。ところがそこにビジネスバッグを持った人影が入り込む。所謂被写体ブレでどこかへ向かってる感じが写り写真に変化が起きる。こういうのが面白い場合と写真がつまらなくなったり、ありていに言えば「げーっつ、こんなの写っていて台無しだ」となることもある。例えば満開の桜がきれいだからと見た瞬間に撮るが、あとで写真を見ると木の根元にゴミ収集の黄色の袋がいくつも出されていて、それをどう感じるかも見る人次第だが、げーっと思ったことがあった。だが台無しは写真になって気が付くことが多くて、撮るときには台無し部分ではなく撮りたい部分を注視している。写真と現実の世界はこれほど向き合い方が違うわけだから、撮るときに、現実ではなく写真になったらどうなるか?まで見通す冷徹さが必要なのだろう、それが格段にうまいのがプロの必要条件かもしれない、でも、こと街角スナップは受け入れる感度を高める撮影であり、大量に撮って、選択することを主とする。そういう一瞬のジャズにおけるインターブレーのように街とカメラマンが丁々発止のやり取りを連続して次々にしている。そうして確保された一瞬が静止画に固定されて一瞬以上ずっと静止画たる写真を見ていられるようになるのだから、実際の風景の現場と写真に撮られたソコは、見え方も感じることも全部違うんだろう。自分の撮った最新の写真を見ながらこんなこと思いましたが、ボジョレーヌーボーじゃないけど最新の写真には撮ったときの欲の欠片が選ぶときにも残りつつ選ぶからホントはあんまり良くない。選ぶ冷静さが確保されるには時間を経たほうが良いときもあるだろう。

 写真は長野で移動中や空き時間に撮ったもの。なのでボジョレーヌーボー的な写真。

とりあえず

金曜日。長野県小布施に出張。空気澄んでいて青空が見えるのに、大粒の雨が降ってきたり、不安定な天気。夜には随分と冷えこんでくる。

写真は長野ではないです。とりあえずってやつ。とりあえずってなんだろう。何らかの課題に対して深く考え、他の案との比較により欠点や利点を炙り出したりし、そして最終結論を決める、という正しい結論への道筋が見える途中または前段階で仮の予想……ではあるが経験値的には高い確率でそうなると思われることを仮決定しておくような状態だろうか。この今日のところは「とりあえず」で選んだ写真は少し前に横浜で撮った。出口調査による高い確率の選挙結果予測はとりあえずなのかな?

 出張が終わったら写真も文章も入れ替えるかもしれないな。とりあえず、だから。

一つとして同じものがない

 養老孟子著「まる ありがとう」は一昨年末に亡くなった愛猫まるについて養老先生が語ったことが本になっている。P147に(まるは)感覚の世界で生きているから春夏秋冬は新鮮だったはず、とあり、「目に映る花鳥風月は一つとして同じものがない」からまるにとっての世界は「「日々新た」である」とあった。なるほど花鳥風月は一つとして同じではなく、すべての一瞬が違っている。それなのに人間は、あるいはカメラマンは、あるいは風景カメラマンは、その一つとして同じものがない花鳥風月を、同じものがないくせに類型化/定型化された「これが撮るべき」「これがフォトジェニック」「これがあるべき最盛期」「これが隙のない構図」というような尺度を当てはめて見まわしていて、せっかく一つとして同じものがないのに、概ね同じ安心の絶景を良しとして、その良しを求めて、同じ時刻に同じ場所に殺到したりする。それを名所という。わたしは天邪鬼だから?花鳥風月を写真に撮るということに、自分だって目の前にきれいな花鳥風月が広がっていると途端にそういう尺度で撮るくせに、普段は、花鳥風月を撮るなんて、なんかダサいんじゃないか?という思いを持っている。だけどこのP147を読んで、ダサいのは定型化した尺度の「いい写真」を撮ろうと思う欲のことだと思い至る。花鳥風月でも、その見方に媚び無く、写真を通じて花鳥風月に向かうときの自分なりのやり方があれば、むしろカッコいいんだろう。例えばテリ・ワイフェンバックが、まるが見て歩いたように「自宅の近所」の花や雲にカメラを向けて(すなわち名所など行かず)撮った写真が魅力的なのは、写真家がまるや動物たちのように、いつも感覚的好奇心で一つとして同じでない、その「同じでない」を愛しているからなのかもしれない。なんていう風に猫の本を読んでいても、写真に結び付けて考えてしまう、この癖(のようなもの)は一体どうしらいいのやら・・・

 このカバーを被ったワーゲンビートル(と思われる)だって、(風景写真ではないけれど)カバーの車体への「貼り付き方」や「皺の形」は、一つとして同じではない。光の具合、雲の明るさ、雲の明暗、植木の葉の色・・・みな一つとして同じにはならない。

 すべてが流転して変わるから、寂しいし、それで愛おしいと思い、愛おしいと思われることを望んだりする。権力はそういう当たり前の思いを忘れさせるほどの支配の快感があるのだろうか・・・もう何か月経つのでしょう・・・

 

 

 

 

しまっておくもの、愛しきもの

 環八沿いのトランクルームのビル。なんだか現実とは思えない、すなわちイラスト画のように、汚れなくピュアで、明るく無機質で、幾何学的で余白がなく、もしかすると底知れず怖い。

 某さんと話していて、私は石川啄木の代表作をなんも知らないことを痛感した。勉強不足で恥ずかしい。そんなことがあったので、石川啄木×代表作、などという検索をしてしまった。安易な検索が良いことなのかわからないけれど。知っている、あるいはうろ覚えの歌は四つくらいしかなかった。

砂山の砂に腹這い初恋の いたみを遠く思い出づる日

この歌も知らなかった。

 夏の太陽に照らされた砂浜は熱くて裸足で歩けない。それはよく知っている。誰でも一度はそういう経験があるんじゃないか。吉川忠英の「さすらいの宇宙船」という曲の二番の歌詞は

♪つまさき立ちしたなら 焼けた浜辺 潮風 海鳴り 寄せ返す波

巡り合いと別れを繰り返して 逃がしてしまった 短い季節

遠ざかる地球は 小さな星 もう宇宙船は 流星の旅の空

さらば 愛しき人 緑の山河

バイバイ バイバイ バイバイ バイバイ♪

だ。なんとこの曲の歌詞は、それこそネットで調べようとしても見つからなかった!そこで歌を聴きながら書き取った。

 啄木の、初恋のいたみを遠く思い出づる・・・は昼間に太陽の熱を吸収した砂が夕暮れを間近にして少し冷めてきて、だけどそれより冷えてきた空気よりはまだ暖かく、だから、わずかに残った暖かさに縋りつくように、そこに寝転がり、頬を砂に当てているような場面が浮かぶ。季節は初冬とか晩秋ではないかと感じた。なにしろ初恋を思い出すというのだから究極のセンチメンタルであり、作者の寂しさが痛いほど伝わる、そんな感じ。

 さすらいの宇宙船の歌詞は、真夏の海水浴場だ。海水浴客もまばらだが、寂しくはないくらい集まっている。現実に海風が自分の髪を揺らして通り抜けていき、子供の遊ぶ歓声が聞こえ、波の音がはっきりと聞こえる。そういう砂浜へ爪先立ちで足の裏の熱さをやり過ごしながら降りてきて、適当と思われる場所に腰を下ろし、寝転がり、真上の太陽が眩しくて、目を閉じると、目の前は瞼を流れる血の色で赤い。うまく行かなかった恋について後悔とともに諦めなければならないことを自覚して受け入れて行こうとする。すると、少し前にわずかな期待を抱かせた好きだった人との思い出が浮かぶ、振り払おうと思いつつ、その過去の一瞬の甘美に酔いしれる。そうなったときにはいつのまにか子供の歓声も波の音も聞こえなくなり、耳鳴りのような静寂の音の世界に包まれると、そよ風も止まってしまっている。誰かが後ろに逸らしたビーチボールが転がってきて、その誰か(少年か少女か)に「すいません!」と声を掛けられる、それが救いで、やっと再び、そよ風と波の音と歓声のある今という世界へ引き戻される。そんな感じじゃないか。歌詞では、もうそういう悲しい日々に別れを告げることの決意の比喩として主人公は宇宙船に乗って地球から旅立ってしまうという思い切った展開で書かれているが、そこではなく、

♪つまさき立ちしたなら 焼けた浜辺 潮風 海鳴り 寄せ返す波♪

だけだと、上記のような真夏の海水浴場を私は想像する。

 さて、こんな風に、歌や歌詞を読んで、それが自分の記憶やらなにやらに作用して、自分だけの妄想というか想像というか思い浮かんだ場面・・・それは人それぞれ全部違う。当たり前のことをあらためて思いました。

 吉川忠英さんは、いまもSONGSとか懐かしの青春フォークのような番組などで往年の歌手が歌うときのバックバンドでアコギを弾いている姿を見ることがありますね。いまやアコギの名手として有名でフォークシンガーだった彼を知っている人はあまりいないのではないか。1970年代に出していたCHUEI♯29とかイリュージョンというアルバムは、たぶんほとんどヒットせず売れなかったと思うけれど、ひとつひとつの曲がきらりと光る掌編が詰まった珠玉のアルバムって感じです。私はLPレコードを大事に持っています。

 無機質なドアのあるどの部屋も、みなうり二つのトランクルームだけれど、中にある誰かの大事なものは、みな手あかにまみれ、傷ついて、愛しかったり、するんだろう。