街は変わるべきか残すべきか

 これは都内京橋あたりの新しいビルでひと月くらい前に撮った写真。二人の若い男女が階段を登って行く。この後ろ姿だけからも女性が何かを話していて、男性がそれを聞いているように見える。木々の葉はまだ若葉だ。たぶん同じ場所に今行けば、緑はもっと濃く、堂々としているのだろう。二人が何を話題にしているのかは全くわからない。だけど目下の計画について、こうしたら良いんじゃないか、あれは駄目だろうか、いっそこうしてみると良いかもしれない、と話しているんじゃないか。それに相当する計画がこうしてブログを書いていても「例」すら浮かばないな・・・。

 最近、アマゾンプライムビデオで「名建築で昼食を」という1回約30分が10回プラス一回の特別編のドラマを見ました。田口トモロヲ池田エライザが出演している。一応ドラマなので二人がどうして知り合って、どういう関係性で、それぞれの抱えている計画や逡巡があって・・・なのだが、まぁそれはさておき、やはり二人が毎回尋ねる建築が素晴らしい。行ってみた場所もなくはないが、そういう見方で建築の隅々を見てこなかった・・・だから、行ったことのある場所でも再訪したくなる。行ったことがない建築はそれはもちろん行ってみたくなる。目黒区役所や神奈川県立音楽堂や国際子供図書館・・・行ってみたい。そんなドラマを見ていて思ったのは、そういう大きな公共施設やビルなどの名建築が補強されて使われ続けたり、Kitteや丸ビル(ともに東京丸の内にあるやつ)のように表層の一部を残しつつ建て替えることで雰囲気を残したりする。いいことだと思う。

 だけど、そのあたりの住宅街の一般住宅は40年くらいの周期で新しく建て替えられ、私は建築史家ではないから理路整然とテキストで解説なんかできないけれど、見た感じでだいたいわかる、古い家の当時の流行、洋風の家やマンションだと横線が多いフラットな感じのアメリカ風とか、日本家屋だと三角の大きな屋根に重なるように小さな屋根が連なるようなとか、玄関先にちょっと白い壁の目隠しのような壁が立てられその形が緩やかに波打っていたり丸い穴があったり、とか。そういう家がどんどん建て替えられる時期に入っていて、あっというまに消えつつあるだろう。というより例えばこの茅ケ崎の住宅街を歩いていてもそういうちょっとイイ感じだなと思っていた古い一般住宅はもうほとんど残っていない。集合住宅にしても古い公団にあるような一つの棟に階段が例えば三か所あって、一つの階段は一つの階あたり向き合った二戸の入り口になっているという典型だった構造のものも消えつつある。そして、そういうのは市井で生まれて、著名ではなく当たり前で、当たり前であり個人のものは、誰も保存しようなどと思わないうちになくなっている。

 それで、計画なんだけど(笑)、まぁこういう一般住宅や、あるいは戦後の闇市に始まったという歴史を持っていることの多い駅前のごちゃごちゃした路地からなるマーケットや街区や、大阪でいえば何度か火災が出たけど法善寺横丁や新宿のゴールデン街のような歓楽街や、京都の今もある折り鶴会館のような飲み屋の入った古いビルや、そういうところをそのまま維持して残していくのを前提にして、現代に許される安全性やインフラを整備するというような街づくりは出来ないのかな?と思う。あ、でも都内では難しくても地方再生はシャッター街のリノベから若い人を呼び込むような流れだから、それと同じか・・・

 いや、新宿ゴールデン街で言えば、鬼籍に入られた元都知事は再開発計画をぶち上げ、更地にしてしまってその土地をこうしようああしようと計画されていた。いまも街は健在なので、いまのところは阻止派ががんばったということだろう。だけど東京駅は全部壊して建て替えようとはせず、寧ろ戦前の姿に戻そうという計画でこれは実行された。東京駅のような考え方を街区に対しても行政が協力して維持保全して街区の目的を変更せず生きた形で保存した方が、ゴールデン街や新宿思い出横丁や吉祥寺のハモニカ横丁や本体の築地市場が消えたあとの場外市場(が今生きてるのかは知らないけど……)よほど観光資源にもなるんじゃないか?再開発の手法に、そういうやり方が、あってもいいのにな、そしてさらに難しいのは、その先に、なんとか一般住宅における時代とともにあった流行の変遷を残せないものかな?と思ったんですけどね。まぁ、集合住宅ですら同潤会アパートが一棟も残せなかったんだから、ましてや、となるんだろう。だけどコルビュジエの集合住宅マルセイユのユニテダビタシオンなんかは多分壊されない。結局建築家の知名度という権威が必要なのか。あ、中銀カプセルタワービルは取り壊しが始まったとか、ふた月くらい前にニュースになってましたね。昭和40年代の市井にあった美しいありふれた一般住宅の保存、この計画はどうあるべきか?どうでしょうか?京橋の新しいビルの階段を登る若い二人が話してる……とは思えないか。建築好きのおっさんが飲み屋の片隅で話してるだけ?世の中経済で回ってるから一般住宅が売られると4戸とかに切り分けられてせせこましい戸建てに変わるけどさ、そうではなくリノベして耐震もセキュリティーもインフラ設備も内装も必要に応じて最新のものにしつつ残すという一般住宅のサイクルができないか?とかね。そのサイクルから生まれる建築やさん住宅屋さんの利益が今の「切り分け新築チープな4戸」サイクルより利益が生まれればそんなことも、出来るのか?

 それともそういうのを「残してほしい」と思うこと自体が、すでにもう意味はなく価値もなく、「なんで?」と言うことなのか。

 この写真に写った新しいビルで子供たちはかくれんぼが出来るだろうか?いや、でも大丈夫だろう。子供の遊びの発明はどこであろうが生まれるに違いない。