写真になってそこに見えるものは、その場では全部は見えない

 ファッションにはほとんど興味がなかったが、大学生になり名古屋で一人暮らしを始めた頃、日本のフォークブーム(いちばんはまってしまったのは吉田拓郎だった)と、西海岸のSSW(いちばんはまってしまったのはジャクソン・ブラウンだった)を聴くことが、大学の勉強などとは比べられないほどの時間を割いていたことで(音楽を聴くのと双璧が読書で、次いで映画鑑賞だった)そのせいか、彼らミュージシャンたちが履いているベルボトムジーンズを履いてみたいと思った。そこで下宿していた街の、坂の上の角にあったジーンズショップへドキドキしながら行ってみたが、たくさんの品ぞろえからどう選べばいいのかもわからず、赤面して立ち尽くすような状態に陥ったと思う。一人暮らしをはじめて見ると、多くのことが初めてで、それでいかに実家暮らしにおいて両親がサポートしていてくれたのかが初めて判ったりする。着るものは、上述の通りファッションにはほとんど興味がなかったということもあり、母が買ってくるものをただなにも言わずに着ていたんじゃないかな・・・。中学高校の頃に着るものを母と一緒に服の店に行って自分で選んで買ってもらうなんてこともやってない。これは、今度は、ファッションに興味がないというよりも、親と一緒に外を出歩いている、ということ自体がかっこ悪いと思っていた。そんなわけで結局買い与えられた服を素直に着ていたのだと思う・・・って、これ、そもそもファッションに興味がなかったから、着るものをどうしていたかをなにも覚えてないのですね。靴とかバッグとかも一体どうしていたんだろう・・・。そんなわけで初めてファッションにおける自我が芽生えたのが18歳のときだった、遅いよ。。。大量のジーンズを前にして赤面してもしかしたら汗もかいて立ち尽くしていたらジーンズショップのおじさんが出てきたからブルージーンズを買いに来たと伝えたら、ブランドの希望は?特にはなにも・・・じゃぁ、これなんかがいいよね、そこにどういう理由があったのかしらないがボブソンを指さし、そしてぱっと私の体形を見て、たぶん28インチだと見定めてくれた。履いてみたらまさに28インチはぴったりで、そのあとはお決まりの裾上げ(その日に出来たのか数日かかったのかは覚えていない)をして、はじめてのジーンズを手に入れた。ベルボトムは「当たり前」だったからそのことはなにも聞かれずにベルボトムだった。ただ、この四年後にはもうベルボトムは主流ではなくなっていて(たぶん)私はスリムに「転向」した。その頃には、ジーンズの歴史を例えば宝島とかポパイのような雑誌で読んだのだろう、知っていて、ジーンズはリーバイスでしょ、と偉そうに拘るようになり、以降はずっとリーバイスの606だった。何年も着続けて、膝や太ももが破れると、また同じのを買って履いた。ストーンウォッシュなどされていない、新品のインディゴブルーからはじめて、最後は破れるまで。その拘りがなくなってしまったのは、ジーンズはジーンズブランドのリーバイスかリーかラングラーか(国産なら)ボブソンか・・・と言った数社のものから買うもの、という状況から、さまざまなファッションブランドが普通にジーンズもやるようになって、あるいは私が知らなかった、上記のほかのジーンズのブランドがどんどん現れて、それでもかなり長いあいだリーバイス一筋でいたけれど、とうとう十年くらい前にGAPで買って履いてみたらなにも問題はない(当たり前だ)、GAPで買ったジーンズは同じブルージーンズでもちょっと微妙に色が黒ずんだ感じであまり好きになれず、そこで今度はMUJIで買い、これは今も履いている。それから、たまにはMUJIやらGAPよりも「いい」(高い)のも買っておこうとグリーンレーベルリラクシングでも買った。いまはそのMUJIとグリーンレーベルの二本体制で、結局、どっちかがよそ行きとかどっちかが主に普段使いなんてこともせず、なんとなく洗濯を機に入れ替わっているだけだ。しかももはや以前のように「いつだってジーンズ」ではなくなっているから・・・ユニクロのイージーアンクルパンツなどがバーゲンのたびに増えたりするし・・・この二本体制はたぶんもう5年以上経っていて、どちらも以前のリーバイスのように履きつぶすように破れるには程遠い。そうそう、スリムへの拘りもリーバイスへの拘りがなくなったと同時に消えて、いまは普通のスタンダードな感じです。ちなみにウエストサイズは30くらいですかね・・・

 最初にベルボトムジーンズを買ってきて、履いてみて、早速大学に行くときやどこかに出かけるときに履くようになって、誰もが着ている定番のベルボトムのブルージーンズなのだから、だれもなにも注視したりするわけはないのに、慣れるまではどきどきした。ジーンズ初心者ということが知れてしまうのが恥ずかしいような、知られるわけないのに・・・そういう若者の自意識過剰だった。

 以前もこのブログに書いたような気がするけれど、はじめてフォークギターを買った日も、まだ弾けもしないのにギターを持っていることを見られたくなくて、バスや徒歩を選ばずに楽器屋から家までタクシーで帰ったのだから、とんでもない自意識過剰だったのに違いない。

 街歩きをしていると、当然、通行人というのか外に出ている人に遭遇する。中には初めて履いたパンツが気になっている自意識過剰少年もいれば、まだほとんどマスター出来ていない××の初心者が××の道具を持っているところを見られたくないと感じている自意識過剰少年もいるかもしれない。そして本人の過剰意識の過剰さは、まったくもっとひどい過剰であって、誰もそんなところは見てないし、見てもなんら関係なく通り過ぎる。

 

 上の写真について。

 黄色と銀色に塗られた重そうな箱には何が入っているんだろう?くらいは思う。そんなふとした疑問がトリガーとなり撮るけど撮ったらすぐに忘れていく、なぜなら次に撮るものを探しているからだけど、帰宅して取り込んでモニターに映し出して、あらためてこうして写真を眺めると、箱にはなにが?などなど撮ったとき一瞬よぎった疑問を思い出す。写真に写ることで、その一瞬になにかを考えてすぐに忘れてまた違うなにかを見てまた違うなにかを考えて・・・という次から次への「更新」が更新されずに定着され、あとから一瞬ではなくじっくりと見ることが出来てしまう。するとどうも現場で注視していたその光景を撮りたくなった理由かもしれないことよりも、別のところが見えてくることもある。隣のホームに懐かしいステンレス車両が停まり残業帰りの人たちが座っている。夜の景色で、私もこんなふうに疲れたり高揚したり仕事のアイデアを考え続けたり、切り替えて読書をしたり、次の休日の計画に思いを馳せたり……そんな夜がたくさんあった。自分の記憶に照らした、その夜の電車をぱちりと撮る。ところがそこにビジネスバッグを持った人影が入り込む。所謂被写体ブレでどこかへ向かってる感じが写り写真に変化が起きる。こういうのが面白い場合と写真がつまらなくなったり、ありていに言えば「げーっつ、こんなの写っていて台無しだ」となることもある。例えば満開の桜がきれいだからと見た瞬間に撮るが、あとで写真を見ると木の根元にゴミ収集の黄色の袋がいくつも出されていて、それをどう感じるかも見る人次第だが、げーっと思ったことがあった。だが台無しは写真になって気が付くことが多くて、撮るときには台無し部分ではなく撮りたい部分を注視している。写真と現実の世界はこれほど向き合い方が違うわけだから、撮るときに、現実ではなく写真になったらどうなるか?まで見通す冷徹さが必要なのだろう、それが格段にうまいのがプロの必要条件かもしれない、でも、こと街角スナップは受け入れる感度を高める撮影であり、大量に撮って、選択することを主とする。そういう一瞬のジャズにおけるインターブレーのように街とカメラマンが丁々発止のやり取りを連続して次々にしている。そうして確保された一瞬が静止画に固定されて一瞬以上ずっと静止画たる写真を見ていられるようになるのだから、実際の風景の現場と写真に撮られたソコは、見え方も感じることも全部違うんだろう。自分の撮った最新の写真を見ながらこんなこと思いましたが、ボジョレーヌーボーじゃないけど最新の写真には撮ったときの欲の欠片が選ぶときにも残りつつ選ぶからホントはあんまり良くない。選ぶ冷静さが確保されるには時間を経たほうが良いときもあるだろう。

 写真は長野で移動中や空き時間に撮ったもの。なのでボジョレーヌーボー的な写真。