1931年の冬


 また、実家にあった古いアルバムから。ひどい傷とゴミをPC上で修正した。根気のいる作業。これは多分、1931年の冬で、場所は金沢だと思われる。

 今日、午後4時前、近所の住宅地からは元気のよい子供たちの遊ぶ声がさかんに聞こえてくる。もうすぐに日が暮れる時間で随分寒くなっているはずなのに、元気一杯だ。
 自分が小学生のころには、季節ごとに流行する遊びが変化していたように思う。冬にはドッジボール系。「系」と書いたのは人数が2人とか3人とかしかいないときには、だだっ広い原っぱで、単純に追いかけっことボールのぶつけっこを合体したような遊びをしていたから。それにもなんとか言う名前が付いていたが、もう忘れてしまった。ちゃんとルールもあったと思うが、それも忘れてしまった。
「天下落とし」というボールを使った遊びも流行っていた。これは正方形を二つくっつけた形を、ズック靴の先っちょで地面に線で描いて領域を作り、それぞれの領域内に自らが入って、卓球の玉の代わりにドッジボールを、卓球のラケットの代わりに自分の手を使う遊びで、正方形を「田」の字に四つくっつけて四人以上で遊ぶことも多かった。田の字の場合、四つの正方形に四人が入るのだが、それぞれの正方形に順位があって、三の人が一の人にサーブを入れて、大抵、一の人はいきなりスマッシュもしくはアタックに相当する玉を二か三か四に返す。例えば四の人がその玉を返せないと順番待ちの誰かと入れ替わる。あるいは二の人が返せないと、二の人が三に落ち、三の人が二に繰り上がる、とかそんな風なルールだった。一に君臨する王様は、基本的にはアタックチャンスを優先的にもらっているからなかなか落ちないが、一旦、二に落ちると、目の敵にされがちで、集中砲火を浴び、順番待ちまで落とされたりする。一つの正方形は、どうだろうか、2m角くらいかな、いやもっと小さかったかな・・・。卓球と同じで、一度その領域内でワンバウンドした玉を手で打ち返す。ワンバンウンド目が枠外に出たら、それも卓球と同じで、打った人の失敗である。あるいは、ボールは片手で打ち返すがそのときにはバレーボールと同じでホールディングに相当する反則なんかもあった。ホールディングすれすれの技として「キリ」という名前のボールに変な回転を与える打ち方があり「キリ」をかけると相手の領域でワンバウンドしたあとにボールは予想外の方向に跳ねるから相手は返し難い。所謂バレーのアタックに相当するのは良しとしていたが、そのときボールを打つ手を握り拳(グー)にしているのは反則のときもあった。グーの手から打たれる反則アタックを「水爆」とか呼んでいた。
 今もこんな遊びをしているところがあるだろうか?

 石川県の金沢には親戚が大勢いて、冬に遊びに行くと、従兄弟たちは竹スキーという遊びを雪の上でしていた。雪のない湘南に育った私にはすぐにその遊びは出来なかった。この写真の、たぶん四歳くらいの父は、竹スキーではない子供用のスキー板を持っているように思える。

追記。天下落としで調べてみたら、同じ名前の遊びは数あれど、私が遊んでいたのと全く同じルールのものを挙げているブログには出会えなかった。それぞれの地方でそれぞれの遊び方があったようだ。ちなみに私がこの遊びをしていたのは神奈川県平塚市で昭和40年前後です。