ニセアカシアの花


 昨晩、亞林さんからのメールで、矢野口あたりの多摩川沿いにあるニセアカシアがそろそろ咲くころだと知る。昨年も同様なお知らせとお誘いをいただいたのだが、そのときは別の予定を優先してしまった。後日、亞林さんがそのニセアカシアの林で撮ったモノクロームの写真を見せていただいた。私は街路樹としてニセアカシアが植えられた並木道を想像していたのだが、そうではなくて、ニセアカシアばかりからなる林のようだったので興味が増したし、その写真もレトロなロマンチシズムみたいなものが漂っていて素敵なものだったしで、次の花の頃には行ってみたいものだと思っていた。

 また、今日五月八日は、新宿御苑前のギャラリーPlaceMで開催中の須田一政写真展「風姿花伝」に合わせて、須田先生のトークショーが19時から予定されていて、先日ネット予約をしておいた。満員締め切りの直前だったようだがとにかく予約が取れてラッキーだった。

 朝、起きて、それでは15時ころにニセアカシアの花を見に行き、それから新宿御苑前トークショーを聞きに行こうと思っていて、その予定を亞林さんに連絡したところ、彼は、
トークショーだけを聞きに行ってもゆっくりと風姿花伝の写真を見られないので、ニセアカシアより写真展示を鑑賞する方を優先すべきである」
と指南してくるのだった。
 私が、
風姿花伝の写真展示はニュープリントだけど数年前に別のところで見たからトークショーだけでいいかな」
と返信すると、彼からは
「今回のPlaceMの展示はビンテージプリントで、ニュープリントとは全然違うものだから絶対に見る価値がある」
と追い討ちをかけてくる。亞林さんがそこまで強く薦めることもあまりないので、それではちゃんと展示を鑑賞することにしよう。しかしニセアカシアも捨てがたい。ということから結局は家を出る時間を早めて、矢野口ニセアカシア林→PlaceM写真鑑賞→新宿御苑で時間調整昼寝→PlaceMトークショー、ということにした。そう決めたときにはデジフォト便にネットプリントを頼むために写真データをアップロードしていたところで、このアップロードが結構時間がかかるので、早く出発したくて少しイライラした。
 GW期間だけで2000枚くらい写真を撮ってしまったから、そこからセレクトして500枚くらいに絞るにしても、プリント発注が全然追いつかない。今日はやっと4/30分までをプリントに出した。

 矢野口のニセアカシアの花は多摩川に近い橋の一群は満開だったが、その北の林の方は、満開の樹もあるもののトータルで言えば五分咲きくらいで、亞林さんの言う「むせるような甘い花の匂い」が「あたり一面を覆う」ようなことにはなっていなかった。が、もちろん咲いている花に近づけば甘い香りが漂い、ミツバチ(らしき蜂)も飛び交い、そうだよなアカシアのハチミツって定番だものなあ、などと思った。

 河川敷では野球やラグビーの練習、ラジコン飛行機で遊ぶ人、ジョギングのおじさん、昼寝のお兄ちゃん、ニセアカシアの花見のおばちゃん集団、などが集っていて、そういう人達から聞こえてくる、かすかな、自分とは関係のない会話や笑い声と、晴天と気持ちの良いそよ風と程よい気温だということ、が重なって、なんかいいなぁ休日だよなぁのんびりだよなぁと小さなシアワセみたいなことを感じるのだった。

 西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」も、正しくはニセアカシアのことを歌っているそうだ(ウィキにそう書いてあったけど根拠はわかんない)。大学時代に、その時点ですでに「想い出の流行歌」になっていたこの曲を、その他はまさに新しい今週のベスト10みたいな番組からエアチェックした曲の入ったカセットテープに、録音していたことがあったな。そのテープにはほかに中尾ミエだったかの「片想い」も一緒に録音した。何かのそういう「想い出の・・・」的番組で気紛れに録音したのだろう。ところがそのテープが紛失してどうしても見付からない。そうしてなくしてしまったが故に、アカシアの雨がやむとき、のメロディは今も忘れずに覚えているのではないか。

 予定通りPlaceMで風姿花伝のビンテージプリントを見る。亞林さんの助言どおり。黒のしまりが美しい。黒の中にあるデティールが深い、フェロによる光沢滑面も一点の曇りもなく。

 その後、新宿御苑でごろりと寝転がり一眠り。四時半の閉門と同時に出て、近くのカフェで珈琲。そこで亞林さんと須田塾のYTさんが合流。二時間近くも写真の話をして過ごす。
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 写真はトークショーの様子。左より、写真集「風姿花伝」発刊当時(1978年)朝日ソノラマで編集を担当した長谷川氏、須田一政氏、司会の瀬戸正人氏。
 ところでトークショーから須田先生がデジタルを使わないという理由を語った部分を書いておきます。

瀬戸:デジタルは使わないんですか?
須田:デジタルは使わないですね。なんかデジタルって自己検証っていうか撮ったものがすぐに見れるじゃないですか、なんかあれがね、楽しみが・・・すぐ結果がわかっちゃうようで・・・フイルムだと現像しますよね。その時間的な差異があって、そのあいだに妄想が膨らんで来るじゃない。あれってこうなっているんじゃないか?ああなっているんじゃないか?って。僕なんか写真撮っていて、数を撮ってしまう方なんですよね。しつこく一点をぐるぐる回って撮る方なんですよ。だからあそこで一枚とかこちらで一枚とかいうのと違う。でもデジタルだと、一枚一枚確認できる。結果が出ちゃう。それって僕の中のイメージが急激に消えていってしまうんですよ。フイルムは時間差がありイメージが温存できて、肥大したイメージで写真を選び出せる、そういう感じがしますね。
瀬戸:時間って結構大事かもしれない。撮るときと見るときでは違いますからね。
須田:そうですよね。

 私は最近はデジタルばかりだけど、でも、須田先生のおっしゃることはすごく共感できるのであります。