ヨコハマ長距離散歩


 今日の写真は、デジタルカメラにスクリューマウントアダプターを介して、バックフォーカスの短い、五十年くらいまえのレンズを取り付けているので、周辺の画像が吹っ飛んでいます。これもまたよし。

 横浜の野毛山と西横浜駅(相鉄)の中間点くらいの住宅街の真ん中に「ヨコハマアパートメント・ムーンハウス」という建物があって、その一階のオープンスペースと小部屋および二階の一部屋を使って、10/31までの金土日曜日に「熊井正「触覚」爪とボタン」展を開催している。その案内状を熊井さんの奥様から頂いたので、カメラを持って、散歩コースの中にそこを訪れることを組み入れる感じにして、昼前に出かけた。好天である。地図を見ると保土ヶ谷からでも歩けそうな距離なので、保土ヶ谷駅前商店街を歩いてから、会場に向かい、その後には野毛山動物園の爬虫類舎をのぞこう、それで帰りには鎌倉でも回って、どこかで珈琲でも飲もう、なんて。しかし、散歩のコースを計画通り貫徹する必要はまったくないだろう、というよりそんなことをしていたら散歩の面白さは半減なのではないか。とか書いているのは、結果としてそんな計画は全く達成されなかったからのイイワケなのかもしれないな。結局、ムーンハウスで熊井さんの絵を鑑賞したのちに、野毛に向かっているつもりが、曲がり角を間違えて関東学院の方に出てしまった。それでも全然かまわないし後悔もない。要するに知らない住宅街とか商店街をうろうろとしつつ写真を撮ればいいのである。写真は・・・そうだな、新品の街でなければそこはほとんどどこでも被写体があるのだからそれでいいのだ。
 持っていた文庫サイズの地図を見ると、関東学院のあたりから、細い階段道を降りてするとそこは京急の黄金町あたりに出る。数年前まで黄金町のガード下は、ずっと歓楽街(というかここはもう女の人の小部屋の並びですね)になっていて、昼間でも歩くのが怖かった。それゆえに、そこはディープなヨコハマ・ベイ・ブルースって感じで、探偵濱マイクが駆け回ったりしていたわけであろう。あるいは多くの小説や映画の舞台でもあっただろう。
 いまはすっかり浄化されている。私自身はそういうところで遊べるタイプでは全然ないし、上述のとおりそんな街に足を踏み入れること自体、出来ないことなのであるが、そのくせそういう場所は都市の構成要素の一つとして「あるべき」とかなんとか思ったりする。いやらしいですね、こういう立ち位置からのこういう発想。
 そこから日の出町まで歩き、野毛山カレー食堂でトマトチキンカレー焼き野菜トッピングを食べ、伊勢佐木町に出て、最後は横浜橋商店街を歩き、阪東橋から地下鉄で戸塚に出てから帰りました。なんか右ひざが痛くなっている。カレーを食べていた二十分くらいを除くと、あとは五時間以上ずっと歩いていたのである。アホですね、どこかで珈琲でも飲めばよいものを。
 で、そういうことだから当初思い描いていた爬虫類館も鎌倉もナシだった。

 熊井正展。熊井さんの作品にどういう評価がなされているのか?一般的にはどういう区分けをされて、どう分析されているのか?そういったことを一つも知らないし、今回の個展に関して誰かの感想も、ただの一つも知らない。
 だから、ここに書くことはまったくの的外れかもしれないな、
 なんて、事前に予防線を張ったりして・・・めめしいですね。

 うちの、今は19歳になるむすめが1つか2つの頃、いつも絵を描いていた。まだ言葉をあまりしゃべれないときに
「あんまん、あいた」(アンパンマン、描いた)
と言って持ってきたのは、大きな丸の中に小さな丸(目ですね)が、二つある絵で、もちろん丸の精度は悪いから、いびつな丸で、しかも丸の線の始まりと終わりがきれいに繋がってはいなかった。
 どの表現分野でも、それを極めていくと、紅葉ののちに葉が落ちて木々が裸木になるように、一度複雑で重層的だったものが単純化される方向に向かうのかしら。
 写真で言えば、決定的瞬間はいわゆる決定的瞬間でなくても、そこいらが全部決定的瞬間であって、だから、いわゆるそこいらの当たり前の非決定的瞬間を再提示することが、決定的瞬間である、みたいなこと。
 文章で言えば、平易でわかりやすい文章に到達した、みたいなこと。あるいは短編小説の分量がどんどんスリム化されていく?それは作者の加齢とともに必然的に向かう方向なのかもしれないが、その訳は、なんてことない、メンドクサイというだけかもしれない。
 あるいは「日常こそ愛おしい」みたいな気持ちが、身体でいえば、例えば肌が、
加齢とともにシワが寄ったりシミが出来たりするみたいに、心にもそういうシワやシミが積み重なっていて、その疲弊の結果、そういう境地に至るとか。
 境地とか言っても、疲弊の結果、心の行動範囲が限定されるってだけで?

 むすめの描いていた絵は、そう言う結果でなく、個人の生きる時間の最初の段階の結果だから、全く正反対の位置にあるが「いまそこに現れた絵」としてはそういう単純化された表現に似ている。そういう表現に、もっと早い時期から意識的に向かおうとするのか(早く枯れる)、あるいはそういう表現に戻る(幼時期に戻る)のか、という区分けは多分だけど不明瞭でも、そこへ向こうという無意識な欲求があるのかな。(無意識と書いたのは、そんなこと自分のことであっても分析不能に違いないから)

 しかし、そこにはすごい戦いがあって、例えば人間が「言葉」を身に付けてしまったゆえに手放したであろう感覚を、じゃあ言葉を忘れて取り戻そうとしても不可能(に近い)なように、絵だっていろんなことにまみれてしまった大人が、それをなし得るのは難しい。目の前にあるものへ愛おしさを感じられるか、普段は立ち止まらないことにどれだけ視線を向けることが出来るか、そんなことの重要さをあらためて思わせてくれる個展でありました。

 本展のDMに熊井さんは「触れる感覚、その衝動を手がかりに、新たな気持ちで描きはじめた」と言っている。五感を「五」つに分類したりせずに、より混沌としたインプット情報として一括すると何かアウトプットに向かった要因を知るヒントがあるのかしら。。。
 この展覧会は残りは24日、29日、30日、31日です。


特飲街が健在だったころには私はこの高架沿いの道は怖くて歩けなかったと思う。西日がきれいです。西日の作る、影の多い町の季節になりつつあるんだな。




野毛から大岡川を渡って伊勢佐木町までの地区などには結構古いビルがあって、ときどき息を潜めて二階くらいまで上ってみる。廊下には観葉植物が置かれていたりもする。飲食店の入ったビルの裏にはすごい配管が通っているところもあって、ありきたりにブレードランナーみたいだ。この写真はポストだけど、赤いガムテープで塞がれていて、入居者がいなくなれば取り壊されるのかもしれない。


二階のジャズ喫茶がかけているレコードのドラムソロの音が外まで聞こえてきます。


伊勢佐木町の有燐堂裏あたりの古書店は、フィギアも売っている。入り口ドアには昭和天皇ポートレートが貼ってあった。店内にはレッドキングの人形がぶらさがっていた。ハエ取り紙みたいに。随分むかし、二十年かそこいら前までは有燐堂の中にレストランがあって、何か洋食を食べたことがあった。






帰宅後調べたら、横浜橋の東側の真砂町は戦後すぐのころに常盤たか子が撮影した赤線地帯だったのですね。アメリカ兵に手を引っ張られる娼婦の写真が有名な。カメラを隠してスナップしていたとどこかで読んだことがある。