街にある青 御苗場感想


 今月号か先月号かのアサヒカメラのホンマタカシ対談ページで、対談のゲストが誰だったか忘れてしまったが、佐内正史の写真集(これまたなんという写真集のことを対談で取り上げていたか忘れてしまった)のなかのある写真(たぶんそのあたりのありふれた街角の写真)を、お二人が「かっこいい」「ターコイズ色がいい」などと語っていた。
 それを読んでいて、私が街を歩いていて写真を撮るときに、色の並びみたいなことに、あるいはダイレクトにある一つの色に、特別に反応して撮っているということがあるのだろうか?と考えた。
 私は、モノクロ写真はどちらかというと苦手(いい写真がなかなか撮れない)で、カラーの方が比較的にはまだましなのだろう。須田一政写真塾に最初に行ったとき(もう7年前!)に、モノクロとカラーとをごちゃまぜで持って行って、その中から須田先生が選んだ写真はほとんどぜんぶカラー写真だった。そして須田先生が最初に私に向かっておっしゃってくださった言葉が「いいですね、特にカラーがいいですね」というものだったのは今でもこうして覚えている。そのころ須田塾は神田のとある老舗甘味どころの二階を会場にしていたのだが、その窓を背にして須田さんが立っていてそう言ってくださったその場面がそのままぼんやりだけど・・・というかぼんやりとですらないのかもしれないけど、種類としては「映像の記憶」として残っている。
 昨年だったか、デジカメで撮った写真を200枚ほど選んで、カラーとモノクロの両方で200×2(カラーとモノクロ)の400枚程を須田塾に持って行ったことがあって、そのときも須田先生のセレクトは圧倒的にカラーが多かったのだが、自分でそういうことをやって自分の写真をあらためて眺めると、たしかにカラーの方が自分でもいいと同意せざるを得なかった。写真を撮るときに、カラーであることが意識されないまま大前提になっていて、上に書いたような「色の並び」「ある一つの色」が「そこを写真に撮る」大きな要因になっているのだろうか?結果からするとそう想定されて、だけどいざ撮っているときにそういうことを意識していない。
 フイルムカメラのころ、今日はモノクロフイルムだからモノクロに合った撮影をする、カラーだからカラーに合った撮影をする、という「切り替え」が出来ていただろうか?あんまりそう思わなかったように思える。カラーでもモノクロでも写真になる被写体もあれば、モノクロ向き、カラー向きという被写体もあって、若いときには「カラーでもモノクロでも」という被写体(被写体の存在感が強いってこと?)に目が向いていたのかもしれないが、いまは「カラーにのみ向いた」被写体に目が向くように変化したのかもしれない。
 ところで上の京都で撮った写真も、下の茅ヶ崎で撮った写真も、ともに、フォトショップで反時計まわり1.5°くらい回転させてから切り取っている。これも自分の悪しき癖なのか、とくに身体が疲れているときにその傾向(右下がりに水平がくずれてしまう)が強くて情けない。

 全然はなしが変わるけれど、先日CP+併設会場で、今年も御苗場の写真展を鑑賞してきた。これも自分の体調によって印象が違って見えるだろうから、あてにならない感想なのだが、御苗場の写真展はだんだんつまらなくなっていると感じた。そもそもあれだけの写真があって、風景もスナップも鳥も飛行機も、空も猫も若い人の優しい日常も、みな各自各様にあって、それをゆっくりとでなく流すように見てしまっているのだから不真面目な感想ではあります。そういうなかにも、たとえば100作品のなかに自分の極私的気分に引っかかる写真が6あったのが、3になってしまったような感じだった。数年前の残り94の足を止めるに至らなかった写真が今年は97になっている。94と97は大した差ではないように思えるが、そうではなくて6と3の方が問題で、簡単に言えば「2倍(6/3)つまらなさが増した」的なことからそう感じたのだ。そう感じた所以は、上に書いたような様々な写真があるとは言っても、いま若い人に流行の「優しいふうの」「同世代だけが登場しがちな」「晴れた休日のような」「空や猫や植物に寄り添うような」「若干露出が明るめの」写真たち(すでに無名性を帯びている)が足を止めなかった94とか97のうちに数年前は35だったのが今年は47くらいに増えてしまっているからではないのか?(数字はあくまで説明のための適当な感覚で書いてますよもちろん)
 だから一つ一つをもっとゆっくり見ていって肯定的視線を持ち合わせているときなら、上記の3は急増して20くらいになって、さらに作家の方となにかのコミュニケーションがあったりすると53くらいになるのかもしれないが、47作品は結局は「あーまたこれね」ってなってしまうかもしれない。そういう全体傾向があってつまらなくなっていると感じた気がする。
 でも、そういうなかで、このブログをときどきのぞいてくださっているMKさんの花の写真は、(私の撮るような種類の写真ではないものの、)作品を作りこむ際のこだわりの部分では、相当高いレベルだった。そして、震災後の人の感情を考えながら、それを花の写真に託すという、複雑な投影は、難解なれど考えさせられた。
 それから、上記の「あーまたこれね」分類に近いかもしれないのに、一枚一枚の写真の質の高さと並びの妙から、「いっぱひとからげ」から抜け出していて、なんだかすごく気になったのはYuko Aoki氏という方の写真だった。
 以上御苗場の感想でした。