くすんだグリーンです

 子供のころ、東海道線を走行中の電車(当時は皆「湘南電車」と呼んでいたが、いまはその呼び方はほとんど聞かなくなった)の窓から、すぐ隣に敷かれている線路を見ていると、枕木を見極めることは出来ないが、ものすごく早く左から右へと眼球を動かして視線を振ると、後ろに飛んでいく枕木と視線の移動速度が合致して、一瞬だけ枕木が見える。それに気が付いてから、何度も何度も視線を振って遊んだ。こんなのは誰にも言わなかった気がする、友だちにも両親にも。一体眼球はどれくらいの速さで動かせるものなのか?あるとき新幹線に乗る機会に同じことをやってみたが、とうとう視線の回転速度は枕木(枕コンクリート板?)を見定めることは出来なかったんじゃなかったかな。

 近視になって行くにつれ、黒板の文字が見えなくなった。そのときに、目を細めると少しは見えるようになるということに気が付いた。母は息子の目が悪くなり視力が落ちるのを心配していて、それを認めるのが嫌だったのか、私が目を細めてなにかを見ていると、ちょっと怒ったが、そのことを怒られてもしょうがない。怒るなら暗いところで本ばかり読むんじゃないよ、等の原因に注意を与えてくれなくては。結果を怒っても後の祭りじゃないか。そして、細めるとちょっとは見えるというのは、絞りを絞ると被写界深度が深くなるカメラのレンズの原理と同じなのかな?と気が付いた。

 こういう自分の小さいころのエピソードを思い出すと、その後その通りになったが、理科系っぽい少年だったんじゃないかと思う。

 車窓を後ろに飛んでいく車窓風景を撮ることに飽きないまま、2005年頃から20年近くもチャンスがあれば、撮っている。そのときには最初に書いたように、カメラを高速で動かして狙った被写体が止まるように試みるがあまり上手く出来ない。この写真は電車の速度が落ちたときだったのか、それともシャッター速度が速かったからか、ココと書かれた小さなスナック?も後方の住宅もぶれていないように見える。ぶれていなければいいかと言うとそうでもない。止めたかった被写体だけちゃんと止まって、前も後ろも流れるというのが狙いだが、これ、意外と難しいのです。窓と被写体が正対したときの角速度が一番早くなり、そのときにどうしても動かすカメラの速度が足りなくなる、ことが多いのだ。

 会社で部署が変わると、それまでの日常がぜんぶ入れ替わり、毎週一回か二回は車窓からの写真を撮る機会があったのが、いまはほとんどなくなってしまった。だからこのココという店がいまもあるのかわからない。これは6年か7年も前の写真です。

 モノクロ化してみたら気に入ったのでここにアップしたけれども、カラーで見るとココの屋根の色がいいのですよ。カラーも捨てがたい。この屋根はくすんだ緑です。店の中にはカウンター席があるのかな。カラオケセットもあるのかな。