梅庵の梅展


 本鵠沼の住宅街の中にある梅庵まで第四(?)回梅展を見に行く。写真同人ニセアカシアで作っている写真と言葉の本「ニセアカシア」に2号から参加してくださっている林久美子さんが、写真に言葉を添えたzine「梅しば」で参加している。ご本人にもお会いできた。お客さんの中にまだ若そうな柴犬を連れてきた人がいて、その犬が縁側の目の前にある梅の木に首輪につないだ赤いロープを結ばれて待っている。いや、待っている、という意識があるのかどうかは判らないが、そんなにつまらなそうではない。ちょっかいを出す人が何人もいるし、梅の木の根元あたりの土を一生懸命に掘り返そうとしたり。虫でも見つけたのだろうか?上の写真は梅庵の雨戸の隙間から漏れている光。

 そのあとニセアカシア4号に向けた編集会議。もう最終段階に来ています。

 藤沢から横浜に移動するための東海道線の中で、ニセアカシアのAbHayashiさんと私が並んで座って、最近AbHayashiさんが、ハマっている(ん?ちょっと違うんだろうな)・・・興味を持っている?・・・夢中になっている?・・・どういう言葉が最適なのかはご本人しか判らないが、山尾悠子という幻想文学系の女流作家のことなどを、話したりしている。ふと話が途切れたときに、自分の携帯電話を取り出して、今朝読み終わった山崎ナオコーラ著「お父さん大好き」を、読了リストにメモをする。それからメモはメモをすることで備忘録にしようとしたにもかかわらず、そのメモを書いてから何か月も過ぎてしまうと、メモを読んでもなんのことかすっかり判らなくなってしまっているということに、あらためて気が付いて、可笑しいなと感じる。メモの表題(というかそのページの最初の行が一覧になって表れているページ)には、例えば上記の読了本のところは「読了2013」となっているから何のメモか判るのだが。須田塾で須田先生が言ったことなどをメモしたところは、急いでメモ入力したから須田塾のメモであるのかどうかも判らなくなりかねない。かろうじていまは私がそう認識しているからわかるけれど。そこには、須田塾で須田一政氏が、誰かの写真に対して言ったコメントで気になったことをメモしてあるのだが、それが誰のどんな写真に対して言ったことなのかはもうすっかり判らなくなっている。そういうメモをAbHayashiさんにも見せながら、誰のどんな写真に対するコメントかは判らないにもかかわらず、須田先生らしいということが漠然と伝わってくる、なんとなく判る、ということを私もAbHayashiさんも感じたのだった。
例えば、ある日のメモには箇条書き風に、
『はしっこを見ている方が核心よりディープ
 夢から覚めていく途中のような
 日章旗や縁側や桜がもたらすイメージ
 ただずむ感じ
 裏に隠れる怖さ
 演劇的
 舞台画みたいな省略
 金魚すくいで表面をすくいとるようにその時をすくっていく
 旅行に行っても覚えていることは例えば「風が吹いているね」と女房が言ったとか』
というメモが残っている。昨年の四月のメモ。

 梅庵に行く前に、八時過ぎに家を出て、IKEA港北店まで額を買いに、自家用車を運転したのだった。最近は自家用車を運転するのは茅ヶ崎市内で、駅までの家族の送り迎えが八割。あとはたまに藤沢あたりについでがあったり、墓参のために出かけたりくらいのものなので、藤沢バイパス⇒横浜新道⇒第三京浜道路、などという自動車専用道路を走るのは久しぶりだったからすっかり疲れてしまった。最近極度の肩と首の「こり」が起きていて、先日は整形外科へ行き、はじめて「電気」とか「牽引」とかを体験した。ご老人ばかりではないんですね。いや、それどころか若い女性も大勢いらっしゃった。
 頸椎ヘルニアとかではないと判ったので、ただの「こり」なら、痛くても後ろを振り返るように首を回してその態勢をしばらく保ったりしていればそのうち良くなるんじゃないか?とたかをくくっていて、その後一度も整形外科に行っていないのだが、たとえば自家用車の運転というのは横やら、ななめ後ろやらを結構見るもんですね。そのたびに首に痛みが走るからそうなんだあと判る。