夜から雨に


 3日水曜日、早朝6時前に前日予約しておいたタクシーが迎えに来る。茅ヶ崎駅まで。始発のバスでも間に合わない電車に乗り横浜。横浜からリムジンバスで羽田空港へ。スタバで朝食と珈琲といつもの半かけらだけの血圧と不整脈の薬を飲む。まだ腹の調子が完調ではないこともあり、ミックスサンドは半分だけ食べてあとは残す。定刻にマイルで引き換えた特典航空券で岡山へ。小豆島へ行くのに、高松の方が交通の便が良いのだが、特典航空券ではちょうど良い時間が空いていなかったので岡山便にした。9時50分ころに岡山空港着。そこから小豆島に行くわけだが、岡山空港岡山駅のバスがあと10分早く着くか、岡山駅→新岡山港のバスがあと10分遅く出るかしてくれればスムーズに移動できるものの、その10分の行き違いで、岡山駅で1時間20分待つ時間が発生する。これだと高松までJRの特急で移動して高松港から行った方がまだ早く着くのだった。しかし急ぐ旅でもなし、岡山駅近くの奉還町というアーケードの古い商店街をぶらぶらと歩き、駅前の「旅路」という、ものすごく古そうな喫茶店で珈琲を飲みトーストを頼む。それが11時20分ころでこれが昼飯のつもり。珈琲とトーストで300円。常連らしい野球帽をかぶってスポーツ新聞を大きく広げながらときどきマスターとはなしているお爺さんの先客が一人。その先にあるカウンターには、遠くてよく見えないが、珈琲サイホンが見える。店内には油絵やら水彩の絵が雑然と掛けてある。水彩は女性のモードスケッチのような絵だったが、ほかはほとんどが山の絵だった。岡山駅での乗り換え時間をつぶすために、駅前喫茶「旅路」は、昭和40年代の国内旅行ブームの若い人たち(ディスカバージャパンキャンペーンの頃ですね)が通り過ぎて行ったような役割だったのではないか、と勝手に想像したり。奉還町を歩いているとずいぶんたくさん喫茶店があった。新しいカフェという方が似合う店もあった。決してシャッター商店街ではなく、行きかう人はお年寄りが多いものの、元気な商店街だ。

 新岡山港からフェリーに乗る。風があるが大きなフェリーは安定して揺れもせずにゆっくりと進んでいく。出張らしいサラリーマンが五名か六名。子供を連れた家族が二組くらい。カップル一組。私。
 小豆島に近づくにつれ予報通り雲が多くなっていく。私の一人旅では、あまり好天に恵まれない。いつものことであるものの明日は小豆島で陽の光を受けたオリーブの畑などを見たいものだと思っているので、ついていないなあ、と思う。

 小豆島到着とほぼ同時刻から雲は空を覆ってしまう。尾崎放哉記念館は休館日。お墓を詣でる。そのお墓が裏手に当たる丘の上の古い温泉ホテルへ午後3時半にチェックインする。壁紙が黄ばみ、浴衣の襟はほつれ、鏡台の座布団はスポンジが出ている。窓からはエンジェルロードと称する干潮時に沖の小島まで道がつながる名所がよく見える。一階の屋外テラスの屋根がすぐ下に見えるが雨漏り対策がビニールシートが敷き詰めてある。こう書くとよい印象ではないが、そのように古びてはいるが、それでもしっくりと来るのは、病み上がりのシーズンオフの一人旅をしている自分にそういう宿が似合うような気がしているからか。勝手に自分を主人公にした厭世観の漂う役を演じている感じがする。暖房がこれでもかの26℃設定で強風を送り続けるので、リモコンをいじって設定を変える。ほっとする。この部屋で雨の夜を過ごすのもいいではないか、と思う。
 それでも忙しい旅人は、カメラを持って、エンジェルロードまで歩いてみる。カメラはデジタル一眼レフカメラレンジファインダーのフイルムカメラを持ってきた。フェリーの中で海を撮ったときには両方を持ってデッキに上がったりしたが、カメラ通しがごつごつと当たるので、しかもDSLRは50mmでフイルムカメラは40mmで画角も大差がない。そこで、その時々の気分でどっちかを取り出して首に下げるだけのことである。エンジェルロードに行くときはDSLRは部屋の金庫にしまい、フイルムカメラだけを持って出た。風がつめたい。ものすごい勢いで観光バスが着いて、どやどやとお年寄りの観光団体客が降りて、大急ぎでエンジェルロードを渡って戻ってバスに戻って行った。近くの約束の丘とか名づけてあるちょっとした高台に上り、雲の動きを眺めていると、もう少しで雲間から太陽がのぞきそうに思えるから、じっと空を見ているが、雲もどんどん形を変えていき、さっきまで青空が雲間に穴が開いていたようにあったのが、そこから太陽がのぞきそうになる前に穴が塞がった。なにかの神話のようだった。

 夕食のときに判ったが、本日の宿泊客は、老夫婦一組、40代くらいの姉妹一組、私、の計五人。煮魚など魚中心の優しいメニューで、腸炎から立ち直ったもののまだ腹が完調でない身には助かる。それでも最後に出てきた釜飯と手延べそうめんは残してしまった。小豆島は醤油の醸造所がたくさんあるそうで、その醤油だか醤油もろみだかを使ったひしお鍋というものが、この宿の名物だそう。美味しかった。
 別館の先にある風呂は貸切状態でゆっくりと浸かるが、これも体力不足が湯あたりしたようにふらふらになり、湯からあがると立ちくらみが起きる。このタイルの床に全裸でぶっ倒れてしまったら大変だと、あわてて座り込んで目の前が暗くなった状態から像が戻って来るのを待った。
 しとしとと降り出した雨はやがて本降りとなっていく。部屋でゆっくりと読書・・・のつもりが碌にページが進まないままに眠ってしまった。
 眠る前に読んだのは、女流アルゼンチン作家(だったかな)の短編で背の低いウェイターが背の高い女房のコックに死なれ途方に暮れているレストランへ若い客が訪ねていくはなしなのだが、その筋道が奇妙で迷宮に迷い込まされたような話なのだった。
 煮魚の名前は「あこう」だそうだ。