風待ち


 旅行の最終日になってやっと快晴になった。高松空港を昼頃に離陸する飛行機で帰る、その前に、朝早くから開園している栗林公園に寄る。一時間コースを四十分くらいで歩いて来る。松に朝日が当たると美しい。
 高松駅近くからリムジンバスに乗る前に高松港のフェリー乗り場あたりをスナップして歩いた。

 土曜日は雨が降ったり曇ったり、少し日が出たり、目まぐるしく天気が変わった。前の日のブログに載せたウエディングドレスの写真は東かがわ市手袋ギャラリーってところで撮った。東かがわ市は国産の手袋の・・・何割だったかを覚えていないが、まあ「大半」を作ってきたところだそうで、いや、今もそうらしい。手袋ギャラリーは、そういう工場のうちの古いところを使って手袋の製造工程で使われていた工具やミシンや型、昔の写真、製品、などを展示し、販売も行っていた。言い方は悪いが、文化祭の展示のような手作り感がある。展示されているものも手入れは全くされていないようで雑然と放ってある感じなのだった。客は私しかいない。途中からギャラリーの女性が一人、いつのまにか近くにたたずんでいて、びっくりしたが邪魔にならない程度に説明をしてくれる。人が身に着ける物が、売られるために包装されて売店に置かれているものはまだしも、つりさげられたり、マネキンに着せられたり、ガラスケースの中で蛍光灯に照らされて置かれていると、ちょいと不気味な感じもするのだ。

 手袋ぎゃらりーがあるのは引田の街で、その近くには「風待ちの港」という場所があった。なんとなくその名前に惹かれて行ってみた。小さな入り江のような港があり、そこに面しては工場があった。どこまでが一般道でどこからが工場の敷地かよく判らない。そんな場所をカメラを持って歩いている人はほかに誰もいない。ときどき工場の人とすれ違う。みなさん会釈をしてくる。「風待ち」の意味は地形のおかげで風が吹かない港だからだそうで、すなわち海が荒れているときにはここに船が避難するようなことがあったのだろうか。
 ウィキによれば「平安時代より半島(城山)によって風が遮られる天然の良港「風待ちの港」として開かれた。中世は引田城が築かれて商業が発展してその港町は日用品や米穀の集散地として賑わい、安土桃山時代に始まった醤油醸造は江戸時代後期になって廻船問屋や豪商も現れるほど隆盛した。現在も港は地方港湾の指定を受け、また江戸時代から明治時代にかけての入り組んだ路地や古建築が多く現存して、近代以前の漁師町の風情をとどめている」となっている。平安時代からの港だったのか。

 ほかにただの一人も観光客などいない。そういうこともあってなのか、ウィキにも書かれている路地や古建築を歩いても「観光」って感じがしない、というのか「観光」としてはぱっとしない。犬に吠えられて走って逃げた。駅近くのうどん屋で鶏てんうどんを食べた。鈍行の電車に乗って高松へ戻る。途中駅から高校生が大勢乗って来る。