救出された

明日は川崎に出張があり、朝に宇都宮の単身アパートから出ても間に合うし、今晩のうちに茅ヶ崎の家に戻っておいて、明朝に茅ヶ崎から川崎に行くこともできる。最近は朝早く、6時には出勤している。今日は台風の大雨が朝から、ときに激しく、ときに優しく、強さの差こそあれ降り続いていた。しかし夕方4時になっても列車遅延情報によれば主要幹線に問題はないようだ。就業時間が終わって早々に社バスに乗り駅に行き時刻表を見たらあと2分で宇都宮発逗子行きの電車が出るところだ。そこで、今日のうちに茅ヶ崎に帰っておく方を選んで飛び乗った。しかしこれが運のつき、と言うか貴重な体験の始まりだった。もしこの電車を逃したら、20分くらい待つことになり、今日中に帰るのを止めたかもしれないし、帰るつもりでも、次の電車に乗る前に宇都宮線は止まったから、やっぱり諦めて今日帰るのを早々に止めたと思う。私の乗っていた逗子行きが石橋駅を出てすぐに減速してとうとう止まった、そのときには大雨のダイヤ乱れで徐行運転区間でもあり玉突きで遅れることもあるんだろうと思っていて直に動くとたかをくくっていた。ところが止まった理由がすぐ前方の辺りで架線に枝が引っ掛かってると言う。その放送を聞いたときにはあちゃーと思ったが、それでもその内には動くと思い、音楽を聴いたり読書をしたり、車窓の風景を眺めたりしていたが30分経っても一時間経っても、15分おきくらいに入る放送は、あまりに毎日のことで全く実感がなく本心が伝わらない「電車が遅れもうしわけございません」の台詞棒読み放送と、それに続いて、枝の撤去の手配はしたと言うこと、だけどまだ撤去作業が始まったかどうかは言わないし、手配したものの台風のことでもあるし、あたこちでこの手の工事と言うか作業が引っ張りだこなのか、放送は毎回「手配しました」と言うばかりでより細かい進行具合は触れない、その一方で、復旧には相当の長時間を要すると言う一点と、電車から外に出ることはこうなっても罷り成らぬ!と、そこはかなり自信に満ちたようにしっかりと話す、そう言う内容。
そのうちに私が乗っている止まったままの上り逗子行きの隣の線路にゆっくりゆっくり下り宇都宮行きの電車が走ってきた。上りと下りの電車は、上り電車の先頭車両と下り電車の最後尾をピタリと揃えて並んで止まった。かれこれ止まってから一時間半ほどして、この電車の乗客は先頭車両の運転席ドアから三段の梯子で線路に降りてからすぐ向かいの下り電車に、やっぱり梯子で乗り換えてもらうと言う内容だった。まぁときどき電車の立ち往生に乗り合わせるがニュースでときどき見るような、乗客を電車から下ろすと言う場面に遭遇するのはもちろんはじめてなのだった。
大雨で梯子の手すりは濡れていて滑りやすく、梯子の一段は随分高く、なかなかにスリリングな乗り換えだった。下り電車に移ると社内放送では、ただいま上り電車のお客様を「救出」しているのでしばらく発車しないので(事務的な)申し訳ありません、と言っていた。結局、その下り電車で宇都宮に戻り、もう今日中に茅ヶ崎に戻るのはやめにして、吉野家でネギたま牛丼を食べてからミニバスでアパートに帰った。電車に飛び乗ってから五時間がたっていた!
ものすごく沢山の本数の電車が影響を受けて、多くの客が車両に缶詰めになったか、駅で延々またされたかしたのだろうが、一旦外に出て運転席から梯子で別の電車に乗り換えるなんて言う「救出」をされることになったのはこ逗子行きだけだったに違いないし、こんなことに巻き込まれるのはもちろんはじめてなのだった。
私の父方の祖父(だったかあるいはそのまた友人の話だったか・・・)は戦後に満州だかから引き揚げるときに乗る予定だった船だか飛行機だかを、病気かなにかでキャンセルして後日の便に変えた。変えてなかったらその船だか飛行機だかが遭難して亡くなっていたのが助かったそうだ。
生死がかかるほど深刻なことではないにせよ、ギリギリ飛び乗ることなどせずにいたら、五時間の徒労はなかったわけだ。