熊本へ 21日のこと

阿蘇山の北側外輪山の尾根の上を辿るようにミルクロードと呼ばれる道路が作られている。助手席の妻が、レンタカーに装備されているナビの案内よりも、もっとリアルタイムに混雑情報や細い道も考慮して判断するらしいGoogleのナビをスマホで使いながら、かつ、景色まで考えた人間らしい誘導をGoogleに指図もしたのかな、私は妻やGoogleの指示通りに運転していたら、比較的順調にするするとミルクロードに入ることができた。途中、国道より北側の、鉄道沿いの町道のような道路を走っていたら、ドアなどが金属外観で他は赤く塗られた二両編成の電車に出会ったりもした。知らない路線の見たことのない塗装の電車を初めて見るのはなんだかわくわくする。一般的には女性は男性よりも地図を見るのが嫌いだし、地図を読み取るのも苦手だ、そう言うことになってるのでしょうか?そうだとしたら珍しいのかしら、妻は地図を見るのが大好きだ。助手席でスマホを調べたりしながらまめに道路のこれから向かう先への様子や道の選択に関して、調べているから、まぁちょっとくらい遅くなろうが、道を間違えようが、なんとかなるんだからそう一生懸命に調べてくれなくてもいいから、窓外の景色でも眺めてなよ、と言いたいこともあったが、実はそうするのがどうやら好きなようなのである。なので最近は、私が運転手、妻がナビゲーターと言う役割分担。
ミルクロードや山並みハイウェイは、他にこんな道路は、あるのかもしれないものの、それでも知ってる限りにおいてはやっぱり「ない」。
青空と雲がきれいな日。
このあと阿蘇神社にお詣りしてから南阿蘇側に回り込んで熊本市内に。ガスを満タンにしてからレンタカーを返却した。

谷川俊太郎作詞、小室等作曲の「赤いクーペ」に歌われる「火の山」は阿蘇山のことなのかな。谷川俊太郎は、浅間山の方に別荘を持っていたような気がするので、と言うのを何かで読んだ気がするだけだけれども、この歌の火の山は浅間山かもしれないが。

この歌の詞の最後は
『悲しみは走りつづける 幸せを連れて』
とある。
詞の全体を読んでここに歌われている赤いクーペの二人がどういう二人なのか、すぐにはわからないし、言い換えると、読む人/聞く人に応じていろんな理解が存在して、それが谷川俊太郎の思いや想定と違ったとしても間違いなんかではないのだろう。
走りつづけるのは時間に沿って同じ方向に、赤いクーペのなかに二人だけ。きっと長い時間を過ごしている。火の山は波乱万丈。喜びも悲しみも幾年月なんて木下恵介監督の映画作品もあった。