通り過ぎる桜


鈍行電車で宇都宮から茅ヶ崎へ移動する。窓の外を眺めていると、不意に満開の桜が現れて、通り越して、小さくなり、見えなくなる。桜の名所、東京なら、上野公園とか千鳥ヶ淵、目黒川や新宿御苑、等々に行って、たくさんの華麗な桜の「群れ」を眺めるのも楽しい。だけど「群れ」ではないし、樹齢を経た「一本桜」でもない、街の中のあちこちにある市井の桜に、こんな風に車窓の一瞬に目を向ける、こういうふうに桜を見たことが「春」という季節の日常に含まれた桜の見方であるのだろう。なので、こんな風に線路脇のフェンスがあって、プールがあって、なんて言う写真の被写体の置き方からすると余計なものがたくさん写っている(車窓から撮っているのだから作画の自由度がない)この桜の見方が視線に即しているに違いない。でも写真の見方は実際のその場での実景の見方とはぜんぜん違うから、だからいいじゃないか!とは言えない、それも難しいのだった。

 4月2日の土曜日、久々に都内で写真展を見て回る。長島有里枝東松照明柴田敏雄、みなそれぞれ素晴らしい。恵比寿のNADIFF APARTで開催していた細倉真弓の展示がとくに印象に残りました。