雨の上野

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上野東京ライン上野駅から乗車する。発車してすぐに、この高架の上を通過するときに、よく写真を撮る。こうして雨が降っていると、なんだかむかしの風景みたいに思えるのはどうしてかなぁ。上野、夜、雨。昭和の演歌みたいだからかな。

新型コロナウイルスのこと、もし昭和だったら、新聞とテレビやラジオのニュースからのみしか情報を入手する術はなく、情報の拡散や共有のスピードも今と比べるとずっと遅く、そのぶん間違った噂が拡大する可能性はあったが、その可能性だって今のほうがずっと大きくてリスクも大きいんだろう。一万人あたりの感染者数が0.04人だか0.06人だかのことは、そもそも誰も今のように警戒もしなかったかもしれない。

そういえば昭和30年代40年代には日本脳炎で亡くなる方が出るとラジオのニュースでときどき報じられて、夏休みの縁側で蚊取り線香の煙の香りを嗅ぎながらスイカなんか食べつつ聞いていたけど、そのときにそこで蚊に食われても、他人事のニュースのようでなにも気にしてなかったが、こういう発生確率的にはどうだったんだろう。

ま、すなわち、どんな病気なのか、その正体とか対処法とか治療法がはっきりすれば不安も払しょくされるんだよな。

昭和と令和どっちが幸せな時代だったのかわからないですな。まぁでも、ヒトという生物が種を保存拡大するには、世界への探求みたいなことは必須なのだろうし、たぶん、科学が発展することはそういう意味からも絶対的に継続していく宿命だろう。よくわからないけど。だからこういう機器の発展に起因しての社会の変化の今と昔を比較して、どっちがよかったとかなんとかは、そもそも意味をなさないことなんだろう。今の世の中がこうある、それを前提に考えなくてはだめで、それをこんな風に「むかしは・・・」で話すってことはすでに社会人から引退してるってことか。