雨強し

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昭和の日。カーラジオでFMヨコハマを聴いていた、昭和の日にちなんで昭和の歌謡曲がよく流れる。昭和に流行った洋楽も流れる。フィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ」が流れる。最近のジャズボーカリストがカバーしていた演奏だろうか「サニー」が流れる。ウィキペディアで調べるとサニーは1966年の曲だそうだ。フィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ」や「輝く星座~レット・ザ・サンシャイン・イン」とかと、たぶん同時期のステージ101でよく歌われていた「涙をこえて」に、なにか音楽的共通点があるのだろうか?コード進行なのかリズムなのかメロディーなのかなにか時代の特徴が共通にあるように聞こえるが、聞こえることを理論(テキスト)に言い替えられないのでわからないな。感覚がそう感じるけれど、ぜんぜんそうじゃないのかもしれない。このこともこの長年やっているブログのいつかに同じように書いている気がする。松田聖子の「ロックン・ルージュ」が流れる、郷ひろみの「よろしく哀愁」が流れる、久保田早紀の「異邦人」が流れる。

最初に買った洋楽のLPレコードは15歳か16歳の頃にシカゴとフィフス・ディメンションのゴールドディスクと呼ばれていたベスト盤だった。東芝EMIのレコードだったっけかな?ジャケットが本当に金色だったな。

ラジオって視聴者じゃなくて聴取者っていうんですかね?どういう年代が主流なんだろう?あまりカーラジオを聴くことはなかったけれど、最近はときどき聴く。今日は昭和の日だから昭和の曲が流れるけれど、そうでなくても昭和の曲が流れることが多い気がする。このまえはジューシー・フルーツのジョニーだっけジェニーだっけ、ご機嫌斜めな方は?その曲が流れていたし、洋楽ではT-Rex20世紀少年が流れていた。洋楽を聴き始めた頃に流れていた曲って妙によく覚えているものだ。ABBAになる前のビヨルン&ベニーの「木枯らしの少女」、カーリー・サイモンの「うつろな愛」、ロバータ・フラック「やさしく歌って」、CCR「雨を見たかい」、スリー・ドッグ・ナイト「オールド・ファッションド・ラブ・ソング」、シカゴ「長い夜」、ジョージ・ハリスン「マイ・スイート・ロード」、アメリカ「名前のない馬」・・・あの頃はヒット曲を聴けば、メロディも雰囲気も、バンド名も、すぐに覚えていた。いまはその能力は十分の一どころか百分の一かもしれないな。だから、あの頃は良くて今の音楽はわからない、とか誤って思わないようにしなければならない。それぞれの時代に十代や二十代の人が、その年代の人が寄り添える愛や恋や平和や勇気や夢の歌が同時代的に尽きないように繰り返し繰り返し作られて、いまの私より十倍か百倍か感性のある素晴らしい年齢の人たちの心に大事なその音楽が突き刺さっている。それは創作するミュージシャンたちに創作意欲が引き継がれていることの証明でもあるだろう。健全なことだ。