とうめいにんげん

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写真はどこかの工事現場の工事中にだけ立てられる壁というか仕切りに貼られていたその工事の完成予想図。なぜか透けていました。雨風でインクが落ちてそうなったのかな?写真は斜めから深度を浅くして撮ってます。なんだかなぁ、なんでそんなことするのか自分でもわからないけど誰かが造った画像をそのまま複写するようなことに違和感があるのかもしれない。透明人間とか半透明人間とか子供の頃は定番の空想ネタでしたね。たいていは悪事を思いつく(笑)

みんなのうた の「とうめいにんげんなんだけど」

の歌詞をあらためて読むと怖いですね

三番)

とうめいにんげんは

ほんとにいたんだけど

とうめいにんげんて

やつはとうめいだから

ほんとにいたのか

じぶんでもわからないんだ

作詞は五味太郎

とうめいにんげんはだれとも交流が出来ずにいて

もしかしたら一方的には見たり聞いたり書いたり歌ったりしていても

それがすべて普通の人間には伝わらなくて・・・これはもう亡者のよう・・・

 

土曜日、午前のうちに久しぶりに電車に乗って外出。東海道線の密をさけるためグリーン車を使うが、往路は途中駅で家族連れが近くに乗ってきて、子供たちはマスクをせずしかも父親と子供たちは大声でずっと話しているからなんとなくコロナ対策ということでこちらから席を移動する。帰路は昼時になったら今度はグリーン車のなかで崎陽軒の焼売弁当などの弁当を食べながら隣り合って話しているカップルや友人同士や家族連れだらけになる。放送で飲食はするなと言っているけど放送に聞こえないふりをしているというより、放送に気が付かない人が多いようです。なのでまた少しは彼らからディスタンスを取れる席に移動する。茅ヶ崎駅ビルの丸亀製麺により、昼に食べるうどん弁当を買うことにする。列が出来ていて、列には前後の客と距離が出来るように立ち位置のシールが貼ってあるが、うねうねとくねっているそのテープで仕切られた待機列は前後には配慮があるけれどくねって隣り合っている数人先または数人後の人とはすぐ隣になってしまうのだった。

ここ一週間くらい読んでいた江國香織著「去年の雪」を読み終わる。上の写真を選んだ理由もこの本を読んだからかもしれません。百人を超える登場人物が時空を越えながら往還するけどその場面場面は日常のありふれた出来事に終始、というようなものであって、時空を行き来するのはカラスであったり、声に関してはそれを聴き分けることができる子供がいたり、たまに時空を超えた異世界へ一瞬迷いこむがそこからずっと異世界を彷徨うわけでもなくふっと戻ってくる(ことが多い)って感じ。例えば多和田葉子がこれを書いたと言われると、そうか!と感じるだろうが、ちょっと江國香織らしからぬ実験的な感じの変わった本だったという感想です。

上の歌詞のような「とうめいにんげん」も登場してきます。とうめいにんげんもウイルスに感染するのだろうか?