KYOTOGRAPHIE day2

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快晴。暑い。歩き回って20000歩を越える。夕方いったんホテルに戻ってシャワーを浴びたときに脱いだ黒いTシャツの背中には汗をかいて乾いたあとが波打ち際に残った波の切っ先の模様のようだった。午前キョートグラフィー連動企画のKGプラスのセレクト八作品を展示してある開場へ。この古いビルは少し前まで中華料理だったか韓国料理だったかの店だった気がします。正直、社会告発的なコンセプトに辟易する、あるいはもうここ五年十年ずっと流行っている(流行りという言い方は作者にとっては心外だろうけれどでも何作品もそういうのを観ているとやはり流行りなのだろう)作家の祖父母または父母の私的な人生を今の姿とともにあかしていく超個人的な歴史を辿るような作品(あるいはそれの亜流)が多くて、これも「またか」という気もする。KG+だけでなく写真新世紀なんかでもそういう傾向を感じてしまう。これが今から二十年くらい前だと荒木経惟さんのブーム的人気で、ずいぶんと赤裸々に性の場面をまとめた作品が多かったことを思い出す。結局、俯瞰してみるとコンセプトに流行があるってことだろう。あるいはそういうのを見慣れてしまったこちらに、本当は違う詳細な差異を見極める敏感さが失われてしまっていて、失礼なことに、ひとからげに見てしまっているのかもしれない、とも思う。産業廃棄物で出来た山を撮った写真に縦の縞ができるブラインドカーテンの影が被さっている。そんなところに社会的告発はさておいてしまって、面白いからとカメラを向ける。でも「おばあちゃんもの」かもしれないけどスウェーデンのルルさんという方の作品はちょっと惹かれました。もうひとつフレデリック・メリーさんのモルドバという国を撮った作品も。後者は一枚一枚の写真としての質がとても高くて、そのことでまず安定感を感じた。

昼、予約していた洋食コースの店へ。カウンターにもう一人の馴染み客と私。2人だけの客をマスターと奥様がいろいろと話をして和ませてくれる。美味しい料理を順にいただく。これほど美味しいえびクリームコロッケは食べたことがない。マスターはコロナで休業しているあいだ、喫茶店やカフェを巡って時間を費やした。お気に入りの店の名前を聞いたので、後日に調べてみたが、その店名の喫茶店もカフェも食べログなどに出てこない。謎深まる・・・マスターが教えたくなくて適当な名前を言ったのかな。それはそれで粋ではないか。

たまたま選んだ路地にあったザ・グリーンという店の昼のカフェタイムのひとり客となりコーヒーを飲む。昭和十年代の荻窪のことを井伏鱒二が綴った随筆を読み進む。

夜はホテル近くの煮込みの店のカウンターに座っている。島根の天穏の純米吟醸、一合を飲みきれずも自分にちょうどよい量だけ飲んであとは残せばいいだけだ。おでんをいくつか。天然鰤の塩焼き。店の定番の〆は小カレー。おでんは大根、卵、牛すじ、ゴマ豆腐。あとで追加のひろうす。

上の写真はどこかの交差点で赤信号で立ち止まったときにふと横をみたら狭い隙間に咲いていた花です。この旅行には35mmF1.8のレンズ一本だけしか持ってこなかった。そのレンズを開放F1.8にして撮りました。