コンセプトへの疲弊のような

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京都三日目。ホテルをチェックアウトしてから近くのセンティード・コーヒーショップでホットサンドセットを食べながら、このカフェを会場にしている宮下直樹展「Cell Of Blue Heaven」を見る。壁に飾られた写真だけではなく、二冊のブックも席で見てもいいと言われて、コーヒーを飲みながらじっくりと眺めた。被写体はインドの町を彩る「青」が特徴の町のスナップで、気持ち良い。なにが気持ち良いのかって、旅人の眼が「きれいだな」と思ったところに、あるいは、もっと言葉以前の感性だけのような「いい」に基づいてシャッターを切っている感じが伝わり、とても気持ち良い。

そのあとに嶋臺ギャラリーを経由して、タクシーで西本願寺近くの元・涼風小学校でKG+セレクトのいくつもの写真展を見る。これらの展示には明確なコンセプトがあるようだ。それは社会告発だったり道徳的視点だったり過去からの時間の物語だったり(歴史の再認識のような)。コンセプトと言うのはどうしてもテキスト的になるだろう。下手をすると説明文章に添える説明写真になりやすくなるだろう。選抜された写真展の質は高いので、つまらないことを表明することに勇気がいるけれど、でもいくつかの写真展は押しつけがましくて、見なくてもいいや、と言う思いも生じてしまう。それは社会の暗部に目をふさいだご都合主義、と言われかねないから、黙っているしかない。といった気分にもなる。そしてそういうコンセプトに従って展示された写真でも、一枚一枚の写真に「これいいな」と感じるとき、それは実はコンセプトとは関係のないところでの写真の力を感じるときなのかもしれない。

KG+セレクトでは中川剛志展「光の墓」に見入りました。写真展の解説文章には、まぁコンセプトらしい写真への動機が書かれているが、それよりももっとその場の写真を撮ることの感性が生き生きしているのが、気持ち良いのだろうと思ってみる。

バスで京都駅に戻り、地下鉄で四条へ。そこから歩く。人通りの少ない道筋を選んで歩く。気温が上がる。

ノース・フェイス京都店の三階では石塚元太良の氷河の写真の展示を見る。もしかしたらこれも地球温暖化によって云々なんていう告発意欲があるのかしら?しかし綺麗な写真を大きなプリントで、少ない枚数で見せられると、これが写真展たるものだよな、と思ったり。そう言うことで言えば、キョートグラフィーの展示より、連動企画のKG+の写真展の方が清々しいものに出会える。石塚元太良と言えば、アラスカのパイプラインを撮った写真が浮かびます。

途中で見つけたステーキハウスに入って高価な(笑)アボカド載せビーフハンバーガーを昼に食べました。

街角スナップにはマスクをした人ばかり写るのは当たり前のことで、ほとんどの人がそうなのだから。それも時代を記録していることになるのかしら。

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